えのログ

人生五里霧中

フォロワーのお題で小説を書いた

お題は最後に。
以下小説

 

▼▼▼
 
私がまだ高校生で、初夏のころだった。

「だからさ軽犯罪も競技にしちゃえば楽しいと思うんだよね、私!」

「はぁ?」
 
私の部屋のキンキンとした声が響き渡る。
 
カナメはいつも私の部屋で私が買ったグランドセフトオート3を私が中古で買ってきたPS2でプレイしながらそんな世迷言を言う。元気よく言う。画面の中で景気良く通行人の頭をヘッドショットしてチートコードを慣れたコントローラーさばきで入力しながら自然と声が大きくなりながら私へ話しかける。
 
「グラセフだってこんだけゲームとして成り立つんだから軽犯罪も競技とかゲームになると思うんだよね、シンプルシリーズ軽犯罪、みたいな! いーなー軽犯罪! 私の家お父さんが警察じゃん! そういう冗談も許さないみたいな雰囲気あるけどゲームじゃいくらでも出来るじゃん!? いややりたいわけじゃないよでもアトラクション的な感じでやってみたくない!?」
 
マシンガントークが冴え渡る。画面の中でマシンガンが乱射される。
私はカナメの言葉を適当に聞き流しながらテレビの画面を、ぼうっと眺めている。私もカナメのことを言えないのだけどカナメのゲームの趣味は大分古い。
 
「アキちゃんどう思う!?私はやってみたいなぁ!人を傷つけるのはとかは嫌だけど笑ってすませる範囲のスカッと加減でさ!グラセフも売れるなら売れるって!」
 
ロジックとしてはグランドセフトオートのような大層な犯罪を出来るゲームがゲームとして成り立つのだから軽犯罪も成り立つのだ、ということらしかった。私はGTAと略す派閥なのでカナメの略称に引っかかって話の内容に真面目に取り合う気がさっぱりしなかった。
 
「全日本食い逃げ決定選手権だとか、全国滑走万引き運動とか、ワールドスリグランプリとか、エクストリームスタイリッシュ痴漢とか」
「よくもまぁそんな下らないことがポンポン出てくるわね、あと痴漢は私本当嫌いなんだけど。露出狂に遭遇したことあるし……」
「やだアキちゃんもうそんな年頃に!」
「高校生にもなればそのぐらい遭遇してもおかしくないでしょ。むしろなんでカナメが無縁なのかな」
「さぁーねー」
 
そう言ってまたカナメはゲームに没頭する。
カナメとは高校が違うのだけど小中と一緒だったり家が近いのもあってこんな風に私の家に入り浸るのはたまにあることだった。
こうして無秩序に響くゲームの中の銃声はカナメのタイミングを計る息遣いでしかない。
だから、私はカナメに言葉を投げかける。
 
「何かあったの?」
 
だって、カナメが平日に何も言わずにウチに来てゲームに没頭して、どうでもいいような話を乱射しているのだ。そういうタイミングだと、私は察していた。
こういう時は決まって何かしらカナメは言いたいことがあるのだ。カナメはいつもそうやってタイミングを計って、何かを伝えようとする。休みの日に遊んだ時も道端でばったり会った時も常にマシンガントークだけど、カナメは大切な話はいつもポツリポツリと話し出すのだ。
 
「うーん、いつにも増して説明しにくい……」
「おばさんとかおじさんと喧嘩でもした?」
「いや、そういうのじゃないんだけど」
 
大抵はこうして水を向けてやると簡単に話出すのだけど、珍しく口ごもっている。
 
「たぶんもうちょっとしたらアキちゃんにもわかると思うんだけど」
 
妙に歯切れが悪い様子でカナメは画面から目をそらさない。
 
「というかさ!」
 
黙々とゲームの中で人を銃殺し続けていた。
そうして、小一時間経った時のことだった。
 
「あ、きた」
 
そうカナメが言うのと同時に部屋が眩い光に包まれる。蛍光灯の光が霞むくらいの光量で、幻想的な心地になる光だった。
カナメの背中から翼が生えている。彼女の背丈よりも大きく、それでいて華奢な翼だった。
蝶が飛び立つようにその翼は開かれて幾らかの羽根が舞う。
万華鏡の中にいるような心地で、私はその羽根に触れてしまう。
 
ーー全身に奔るようなフラッシュバック。
 
断片的なイメージが繰り返されて私の中に何かが流れ込んでくる。
走馬灯のように高速で切り替わる場面が情報の塊となって私を殴りつけてくる。
始めに到来したのは悲しみ。これまでの私の人生で直面したことのないような重力を胃に感じて、呼吸が止まる錯覚に陥る。
部屋で大人の男性と女性が言い争っている/机の上に何かの紙が叩きつけられる/私はそれをじっと見つめている/そういうやり取りの後で男性と女性が泣きあって/抱き合って/なかったことになって/繰り返して/そしてまた言い争い/繰り返しばかり/そこにいるのに私は黙ってその光景を見つめている/いつだって私は蚊帳の外ーーーー私って?
私の目の前の風景が滲み、大人達が消えていくーー次の景色へ移り変わっていく/学校の教室だ。
今度は憎しみが、募っていく。
笑顔/笑顔/笑顔ーーその笑顔に込められた意味が私を規定していく。私が同じように笑顔であることを強制してくる。
どうしようもない息苦しさと妬ましさと、それらをそう疎んじてしまう虚しさの濁流で私は涙が溢れて止まらなくなる。
憤りと悔しさが流れ込んでくるーー満員の電車の車内で、私の体を何かが這うように滑っていく/私が声をあげないのだという驕りが私に怒りを覚えさせ、それに抵抗できない自分への情けなさが倍増して襲いかかってくる。私よりもずっと歳が上で、恋人を作るのに苦労なさそうな若い男が私の全身を撫で回す。
息苦しさがだんだんと消えていく/視界が見慣れた景色へ変わっていく。“私”の家を見つめる私が、私の家の前でスマートフォンを操作して、メッセージを”私”へ送る。
そうして”私”が扉を開けて迎え入れてーー迎えられた私は。
 
気がつくと私は床に倒れていた。涙の後で床が少し濡れていて、顔をあげた視線の先にカナメがいた。
 
「アキちゃん、起きたんだね」
 
カナメは体育座りで私を見つめている。虚ろな瞳が私を認識して、だんだんとその目に彩りが戻る。
カナメは制服のスカートのポケットからメモ帳のようなものを取り出す。
 
「アキちゃんも何か、見たよね。何見たのか私がわからないのがなあ、覚えてないし」
 
普段よりも覇気のない声でカナメがそのメモ帳を読んでいく。事実をただ列挙するような普段のカナメと違う無機質な声色。
その内容は、かろうじて聞いたことのあるもので、私にとって信じたくない事柄だった。
 
ーー光の翼症候群。
 
私もテレビで見たことぐらいしかない、奇病だった。病気なのかもわからない、血液検査も、レントゲンの検査も意味をなさない。ただ、光の翼が出来る瞬間が生まれるだけ。
ここ数年で急に生まれた現象だった。
思春期前後の少年少女の記憶や感情を元に美しい翼を形成する。最初は一ヶ月に一度程度。次第に数週間に一度。一週間に一度。数日に一度。次第にそのスパンは短くなり、羽が”定着"していく。
それが、ただの美しい翼なら大したことではないかもしれない。
 
「カナメ……」
 
でも、そうではない。翼は形成されるたびに”宿主”を少しだけ食べていく。
 
「アキちゃん、何を見たか教えてくれる? 全然、思い出せないの。変だよ、ねえ? 自分のことなのに」
 
カナメは少し放心した様子のまま私に質問をしてくる。
彼女は今日という一日を”翼”に食べられた。
”翼”は媒介にした”宿主"のすべてを奪い去っていく。その美しさと引き換えに発症者から記憶やそれに伴う感情を奪い去り、段々と抜け殻にしていく。
最後には感情も記憶もすっかり無くした廃人の出来上がりだ。テレビのお涙頂戴ドキュメンタリーぐらいでしか私はそれを見たことはなかった。テレビの向こう側の出来事で、私には全く関係のない出来事だと、宝くじが当たるような可能性の上で存在しても現実には起こり得ないことだと信じきっていたのに。
どんなことでも起こるのだ。
さっき、私が垣間見た感情と記憶の濁流は、カナメのものだ。
カナメが今日、見て、聞いて、感じて、記憶したものが私に流れ込んできたのだ。
 
「どうしてアキちゃんの家にいるんだっけ? たぶん何かゲームしてたんだよね、私。それはわかるんだけどねえ」
 
それまで見たこともない、カナメの内面に触れたのだ。
私は少しパニックになりそうになる。カナメが奇病に苛まれている/カナメが私の知らない苦悩を抱えている。その二つは私の中でそれまでのカナメのイメージと矛盾を起こして、受け入れがたいロジックエラーを引き起こす。
それでもカナメは、少し元気がないだけの、私のよく知っているカナメの様子で私に話しかける。
 
「ごめんね、アキちゃん。こんなの見せても戸惑っちゃうよね。幼馴染がこんな病気って、笑えないよね」
 
くしゃり、と笑顔を作るカナメが痛々しくて、涙が滲んで視界が歪む。
涙を見せないようにカナメを抱きしめる。背中に手を回しても、翼はもうどこにも存在していなかった。
 
「バカ。重い話するならもっと重い気持ちにさせなさいよ」
「そんな愉快なものみたの?」
「ええ、カナメがどれだけ日常を面白おかしく過ごしているのか嫌になるくらい笑って放心しちゃうくらいに」
「そんなに今日の私の生活、面白かったんだ」
「ええ、私が見て盗んだのが申し訳なくなるくらいにね」
「へえ、アキちゃんずっるいなあ……」
 
どうしようもなく下らない嘘を吐く。私は私が思い描いて、勝手に投影していたカナメの楽しそうな日常を言葉にしていく。私の夢を紡いでカナメに教えていく。
 
「それでそれで?」
「あなたが今日学校でバカばっかで楽しそうでね」
 
カナメの羽根から垣間見た断片をつなぎ合わせて、現実とは違う解釈をカナメに伝えていく。
さっきまでの空っぽになっていたカナメに命が戻っていくように感情が戻っていく。
カナメの今日を、羽根となって喪失した時間を私の嘘で埋め尽くした。
 
「今日はごめんね、アキちゃん。でも嫌なもの見せてなかったなら良かったよ」
 
カナメを見送りながら、彼女に笑顔が戻ったことに安心と少しの罪悪感を覚える。
 
「まだ、学校とかには普通に通えるの?」
「うん、まだ当分は」
 
光の翼症候群の成れの果ては悲惨だ。
翼にすべてを奪われて、ただの生体活動を行う人体だけが残る。
だから、カナメがこうして日常を送れるリミットはそう長くない。
 
「カナメ、明日なんだけど」
 
私はカナメに提案した。 カナメを騙すような、私のどうしようもなく愚かなやり方を。
 
▼▼▼
 
そうして、私とカナメは以前に増して会うようになった。
 
「アキちゃん、いいの? 学校さぼっちゃって」
「高校の勉強なんてね、適当に後からいくらでも取り返せるわよ」
 
朝に私がカナメを迎えに行って、カナメと一日を過ごして、夜に家に帰す。
状況が状況だけにカナメと過ごすことを私の親は予想よりもずっと簡単に認めてくれたし、カナメの両親は拍子抜けするぐらいにあっさりとカナメの一日を私に明け渡した。無理やり作ったような悲しそうな顔で「それがカナメも楽しいだろうしねえ」なんて言っているカナメの両親に、憤りもあった。行き止まりの見えた娘に対して何も思うところはないのかと、どうしてそんな簡単に明け渡せて、どうしてそんなにもカナメに意識がいかないんだと。
でも、カナメの羽が見せたものが全てなのだろう。私が知っていたカナメの両親と、現実は違っていて、カナメの存在が消えていく今もカナメのことを対して思わないのが彼らのほとんどなのだ。
 
カナメの”翼”が生まれる周期は私へのカミングアウトの時点で、もう一週間に一度のペースだった。
 
「あー、アキちゃん、そろそろかも……30分ぐらいでもう……」
「わかった」
 
近所の公園や図書館、ファーストフードで過ごしていると”翼"の予兆がしばしばやってきた。
私はそうなるたびにカナメの手を引っ張って、私の部屋へと連れていく。
人前で翼を見せるのはまるで許されていないかのように、二人でそれを隠蔽した。
 
「いいよ、気にしないで楽にしてて」
「うん……ごめんね」
 
私の部屋で呻きながらカナメは”翼”を顕現させていく。
羽根が見せる記憶と感情は、回数を重ねるごとにフラッシュバックの中心は今から遠い過去のものへと変わっていった。
フラッシュバックは今を起点に過去へ遡る場合もあれば、過去を起点にして今へと向かって押し寄せてくる場合もあって、規則性は見つからなかった。でも、そのフラッシュバックで色濃く描かれた感情と記憶がカナメから消えていく。
最初のうちはショックで意識が飛ぶような衝撃だったけれど、次第に慣れてそのフラッシュバックを見つめることができるようになっていった。
カナメの見せる全ては血だらけだ。私はカナメがヘラヘラ笑って、下らない話をしていて、私の部屋で私に脳から直接出力したような言葉を紡ぎ続けるカナメしか知らなかったのに、羽根が見せるカナメは記憶も感情も、ガラス片を踏みつけたみたいな傷があって、赤い血が滲んでいる。
 
「アキちゃん、私、先週はどうしてたんだっけ」
「先週はね、二人で水族館に行ったよ。カナメがイルカショーがみたいとか言い出して、カッパもないのに最前列に行って二人でズブ濡れになった」
嘘。
「ええ、それ私のせい?」
「カナメのせいよ。だって、カッパをいらないってあなたが言ったんだもの」
嘘。
「へえ、私、水族館に行きたいなんて言ったんだ」
「ええ、テレビでやってたから行ってみたいとか、学校休むなら空いてるとか言い切ってね」
「いいなあ、また行きたいなあ」
 
全部、嘘。
 
先週も、今週も、水族館まで出向いてなんて、いない。そんな家から離れたところに行ったら、”翼”が開く時間に間に合わない。今日も、昨日も、その前もカナメは私の家の周りをぐるぐると二人で歩いて、過ごしていただけだった。
私はカナメの喪失した記憶や感情を事前に調べた情報と推測でパッチワークして創作していく。
ある時は遊園地に行って、ある時は繁華街に行って、ある時は映画に行って、ある時は水族館へ行って。
ほんとうの散った羽根を私だけが知っていく。カナメが一人で抱えていた記憶と苦しみを私だけが知って、嘘で塗り替えていく。
 
私の知るカナメの家は円満で、カナメは別の高校でも笑顔で過ごしていて、カナメの日常は楽しさで満ちているんだろうと根拠もなく信じていた。
でも、カナメの家はどうしようもなく不調和で、カナメの通う学校での笑顔はいつだって作り物で、カナメの日常の”ほんとう"は欠片程度だった。
 
だから、カナメの全部を私の嘘で埋めていく。ひとかけらのほんとうのことを紛れ込ませて私はカナメの今と過去を創作していった。
 
▼▼▼
 
ある日、カナメが家から出てこなくなって、私がついに抜け殻になってしまったんじゃないかとカナメの母親にキーキー言う。言うのだけど、カナメの母親は適当にはぐらかして私を家に帰そうとする。
カナメの母親がバツが悪そうにしているのを見て何か嫌な予感がして私は強行する。
私はカナメの家に押し入って、カナメの部屋に突き進む。
カナメは布団を頭からかぶってうずくまっていて、私が声をかけて初めて布団から顔を出す。
ーー怒りが爆発する。
カナメの目に大きなアザがあって、どうしてそうなったかはわからないけれど昨日家から見送った私はそのアザを誰がつけたかなんて簡単に想像がつく。
こんな状況の娘に両親は手を挙げたのか。
カナメの手を掴み、寝巻きの彼女を引っ張りだしてズンズンと外へと向かっていく。
抗議の声がするけれど、私は聞こえないふりをするし、もし止められようなものなら私が手を挙げてしまうくらいに興奮していた。
 
「あ、アキちゃん……」
 
カナメの家の敷居をまたぐ瞬間、カナメの光の翼が開く。
散った羽根が私と彼女の母親に触れる。
フラッシュバックーー楽しさが広がる/“私”と別れて家に入る/重々しい雰囲気のカナメの両親がいる部屋に笑顔で鼻歌交じりで入ってしまう/激昂する父が拳を固めて振りかざすーーありありと痛みとその衝撃が襲ってくる。
慣れない衝撃だったのかカナメの母親はその場にへたり込んでいる。
私は普段警官だからと正義を語っていたカナメの父親にどうしようもない軽蔑を覚えながらカナメの痛みに涙が止まらなくなって足を速めていく。
 
「ごめんね、アキちゃん。何か見たんだよね。ごめんアキちゃん、私なんも覚えてないの」
 
芯のない声で淡々と語るカナメを連れて私は二人分の切符を買って電車に乗る。
寝巻きのカナメを連れて歩く私に対して奇異の視線があったけれど私は無視して、電車に乗り続ける。
 
電車に乗っている途中、また光の翼が顕現する。
そのペースは急激に加速していて、終わりが近いことを私に否応なしに理解させる。
カナメの近くに誰も近寄らせたくなかった。これ以上彼女の中身を人々に晒したくなかった。
ーーそれでも、それこそこうして連れて行かなくちゃ。
 
いくつもの電車が交わっている駅で降りて、改札を抜ける。
駅から横断歩道を渡って、少し歩いたところにある水族館を目指して歩いていく。
 
「カナメ、ここ覚えている? 前に来たんだよ」
 
カナメは軽く頷くけど返事はしない。もう声も出すのもしんどいようだった。
きっと、1、2回で終わりが来る。
水族館へと入り、何にも目をくれず、中心部のショーを行う場所へと出る。
平日の午前中なのもあって人はまばらで、最前列は水しぶきがかかるからと人も全然いなかった。
こんな平日にやってくるのはたまたま休みの人と、変な人が半々のようで、私たちは幸いなことにギリギリセーフな浮き具合で前の席を陣取って座る。
 
「ここってイルカショーの?」
「そうよ、前にカナメが行きたいって話して、二人で行ってずぶ濡れになったんだよ」
「ああ、そうだったね……」
 
嘘の再演。でも、今度は嘘じゃない。
目の前でショーが始まる。賑やかな音楽と共にイルカが目の前の円形のプールを泳ぎ、水しぶきを客席へと飛ばし続ける。
 
「イルカすごいよ、アキちゃん」
「そうだよ、すごいんだよ。これを見て私の家に来たらゲームをやらせてあげるよ、前にカナメがやりたいって言ってた軽犯罪ゲームみたいのがあったんだよ」
「うん、楽しみだね。すごく」
 
隣でカナメの体が震えるのを感じて、私はその時が来たことを悟る。
ーーそれまでとは違う規模の”翼”が顕現した。
会場の天井に届きそうなサイズの翼がカナメの背中から伸びていく。天井の達するか否かのところで横に展開されて、羽根が散る。
それまでになかった規模の、広域に羽根が散っていく。
カナメの全てが散っていくのが直感で分かってしまう。
 
「ダメよそんなの!」
 
叫んでカナメを抱きしめるけれど、カナメは私の声に反応しない。
しんしんと羽根が空から降ってきて、あたりに積もり、私に触れる。
 
ーー暖かなものが流れ込んでくる。
カナメの日常/笑顔にカナメも心からの笑顔で返している/カナメの両親が笑いあっている/学校も/家も/全部がカナメを暖かく受け入れている。
遊園地に行った/繁華街に行った/映画に行ったーーそうして今水族館へきた。
私がカナメに話続けた嘘の記憶が舞っていた。
 
「カナメ、楽しかった?」
 
雨のように私に降りかかる羽根のイメージを浴びながら、私はカナメに問いかける。
ーー返事は、ない。
最後の羽根の一片が私に触れる。
フラッシュバックーー私が創作した嘘だらけの記憶の中で、一つだけ私も知らないものがあった。
 
そして、私がその記憶と感情を理解した時カナメはもう空っぽになっていた。
 
▼▼▼
 
カナメが亡くなってからのことは、あまりにもオートマティックに進んでしまって私はその流れに身を任せていただけだった。
冷たくなったカナメを救急隊員が連れて行き、分かりきった結果を私に突きつけただけだった。
事務的に通夜だとかのあれこれは終わって、気がついたらカナメの両親は引っ越していた。
 
私は段々と日常に戻っていく。
休んでいた学校に戻って、すっかりわからなくなった勉強になんとか追いつこうと頑張ったり、スポーツをして気を紛らわしたりしながら、時々、結局自分はカナメを騙していただけなんじゃないかと罪悪感に駆られたりする。
 
自宅のベッドで横になって、天井を見上げる。
最初に”翼”を見たのもこの部屋で、それが随分と昔のことに感じる。
 
そこで私は、私も知らなかったカナメの記憶と感情を思い出す。
ベッドと壁の隙間に指を入れて探ってみると何かがセロテープで貼り付けられていることに気づく。
それはルーズリーフが折りたたまれたもので、何かが書いてあるようだった。
私はそれを開いてカナメの言葉を読む。流れ込んできただけでは把握しきれなかったカナメの文章を知る。
 
『色々と伝えたいことがあるけれど、この手紙を読んでいるということはアキちゃんはきっと私にたくさんの楽しい記憶をくれたのでしょう。私が初めてこの病気をアキちゃんへ話した時、アキちゃんは私の一日が楽しいものだと言っていましたけれど、私がこの手紙を書いている、今はまだ翼に奪われていない記憶が、アキちゃんへ翼のことを教える私の心情が決して楽しく愉快なものでなかったことを気づかせています。だからアキちゃんは私の人生はきっと彩ろうとしてくれているのでしょう。私の最後の記憶は明るいものでしたか?私が楽しかったように、アキちゃんが私と過ごしてくれている今も楽しいものであると嬉しいです。ありがとう、そしてごめんなさい。さようなら』
 
「あー」
 
再びベッドに倒れ込む。全部見透かされていたのだろうと笑ってしまう。
考えてみればカナメの羽根に触れた時のとっさの嘘が見抜かれないわけもなかったのだ。
 
「さようならだなんて、ねえ」
 
カナメの最後の羽根に触れたような心地がして、私は少し泣いた。
 
ある高校時代の夏の話。
 
《完》
 
もらったお題『SF』『光の翼』『血まみれ』『正義』『全国滑走万引き運動』
色々苦しいですけどSFはまあすこしふしぎとかそういう方向で一つ……