えのログ

人生五里霧中

マリーナ・ショウ『Who Is This Bitch,Anyway?』に“カッコイイ概念”をぶっ壊されて再構築された頃の話

 

Who Is This Bitch Anyway

Who Is This Bitch Anyway

 

 

色々と自分の好きなアルバムを題材に自分語りをするのが楽しいので今日も書く。
今日はマリーナ・ショウの『Who Is This Bitch,Anyway?』について色々とのたまっていく。
 
マリーナ・ショウはジャズとかソウルミュージックよりのシンガーなのだけど、このアルバムはそんなジャンルの垣根を越えて、十数年聴いてもまだ聴き続けられる強度のあるアルバムに仕上がっている。
どうやら当時、70年代の一流スタジオミュージシャンが集結して作ったアルバムらしくて、僕はマリーナ・ショウ自体はそんなにハマらなかったのだけどこのアルバムは今でもちょくちょく聴くぐらい良い、最高だ。
 
改めて自分の10代を振り返って見ると、毎日のように
「カッコイイ」
 という“カッコイイ概念”が日々遭遇する色々なコンテンツによって壊されては再構築される時代だったように思う。
 
マリーナ・ショウの『Who Is This Bitch,Anyway?』はそんな僕の“カッコイイ概念”をぶっ壊して、再構築してくれたアルバムの一つだ。

 

“カッコイイ概念”などのたまったが、10代の頃の僕は典型的なオタクだったのでファッションについてはさっぱりだった。*1
僕はまともの私服というのを十代終盤までまともに認識しておらず、学校の制服以外マジで
「着心地が良いから」なんて理由でユニクロとかのジャージを着て外出していて、
クラスメイトとなんらかの都合で一緒に私服で外出した時
「あれ…?俺、ズレてない……?」とか思ったりした。
そんなんだから服を買おうにもリアルに「服を買いにいく服がない」なオタクで辛かった、いや振り返ってみると倍増で辛かった……
 

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SNのギルガメッシュの私服を「これはヤバイwwwww」などとネットでツッコミ入れられている中、
「え、どこがやばいの…カ、カッコよくない?」みたいなこと思ってしまうヤバさ。*2
自分がズレていることに気付けても何がズレているのかわからない辛さ。ああ、地獄。
俺はマジで脱オタファッションガイドを参考にファッションを学んだ化石キモヲタだ、道を開けろ。
まあ今でもファッションセンスはパーなのだけど、そこは置いておこう。
 
話がずれた。どうしてこうなった。
 
とにかくそんなファッションセンスとは無縁のえのきでも
音楽について自分なりに「カッコイイ」と感じる感性とか、そういう概念を持っていたということをわかってもらいたい。
 
いやこれまでの話で僕の語るカッコよさがいかに胡散臭いものか示しまくっていると思うのだけど。
 
まあとにかく音楽を聴いて先行した感情というのは「カッコイイ」だった。
「カッコイイ」と感じたからこそ、ロックを聴いたし、HR/HMにはまっていった。
ポルノグラフィティに始まった僕の音楽観というものは、HR/HMというものを知って、
「ガンガンにディストーションで歪んだギターが至高!超絶技巧こそ音楽の真髄!爆音に身を委ねることが正義!!」
みたいな思想になっていた。
 
例えて言うのなら
ガトリングガンを一斉掃射して、薬莢がバラバラ飛び散るの超カッケー」
ってのがそれまでの僕の世界にあった「カッコイイ」だったんですよ。エンドレスワルツ版のヘビーアームズみたいな。
 

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こんな感じ。これが「カッコイイ」だった。
 
だから小洒落たスーツ着て、バーとか高級レストランでキメる、みたいのって全然ピンとこなくて、それまでの自分の「カッコイイ」と結びつかなかったんですよね。
それでジャズだとかソウル系もコンビニとかに置いてそうな『名曲コレクション100選!』みたいな雑なアルバム聴いても
「なんか全然わかんねえ、つまんねえ=カッコよくねえ」
って切って捨ててたわけですよ、つまんねえ音楽の聴き方してたなと自分でも思う。というか勿体無い。
 
でも、ある日マリーナ・ショウの『Who Is This Bitch,Anyway?』を聴いてそんな価値観がぶっ壊れる。
 
当時ギターをかじっていたのもあって、コピーバンドを少しやっていたり音楽教室に通っていたので、色々な音楽に広く浅く触れる機会があった。
それでコンポから『Who Is This Bitch,Anyway?』が流れているのを聴くことになる。
 
コンポから男と女が英語でくっちゃべっているのが延々と流れている。
 
正直「はあ?」って感じだった。
音楽ばっか流れていたコンポだったので「なんだ?海外のラジオでも聴いてるのか?」と思った。
そう思ってほへーって流し聴いてた約3分後、会話からシームレスに始まった演奏を聴いて一瞬で僕はこのアルバムの虜になる。
 
名曲『Street Walkin’Woman』の16ビートのキレの良いビートとキメがばっちりキマッたHR/HMでは味わったことのない疾走感を二つのギターのカッティングとリズム隊の演奏が生み出して、カッコ良いキメの途端にバチっと4ビートにリズムが切り替わってそんな凄いリズムを交互に回していく様に、それまでの“カッコイイ概念”とは無縁だった僕の中の“オシャレな音楽”というものをぶっ壊した。
 
それまでの「うおおお重火器最高!カッケー!!」みたいな僕のカッコイイ世界にスーツを着こなして、落ち着いたオシャレな「カッコイイ」が一瞬で殴りこんできたわけですよ、ピシッと、スマートに。
 
もうそうなっちゃうと夢中になってしまって、このアルバムをTSUTAYAで探して借りて、MDに突っ込んで聴きまくるわけ。
マリーナ・ショウのボーカルも良いんだけど、特に最高なのは演奏面で、ギターがラリーカールトンとデイヴィッド・T・ウォーカーのツインギターなのね。
ラリーカールトンが乾いた感じの単音カッティングとかしたりする中で、デイヴィッド・T・ウォーカーが「きらびやか」と形容すれば良いのか艶っぽいオブリガードを入れたり、かと思ったら『Street Walkin’Woman』みたいなキメッキメのリズムを作ったりするって塩梅が絶妙。職人技、神業ですよ。
デイヴィッド・T・ウォーカーのギターが僕は好きでね……エフェクターとかだけじゃ作れないようなハイトーンで繊細な音を作るギタリストなんですよ、機械じゃまだ再現の出来ない、そんな繊細なニュアンスを演奏に込められる数少ないギタリストだと思う。
 
それまでの
「ガンガンにディストーションで歪んだギターが至高、超絶技巧こそ音楽の真髄、爆音に身を委ねることが正義」
だった僕の音楽観とは真逆の、「歌を活かす演奏」って存在を僕に知らしめたわけ。
前に出ているわけではなくてソロを弾くわけでもないのに確かに
「そこにいる、いなくちゃいけない、欠かせない」
という存在感があって複数人の演奏が交わって代替不可能な
「プロが集団で一つの曲、音楽を作っている」っていうのを初めて実感したと思う。
HR/HMみたいなギターヒーローというか「こいつが今からキメていくぜ!」みたいな一花咲かせるノリではなくてただ淡々と職人技みたいな演奏に徹して、ひとつの曲、ひとつのアルバムを作り上げていくみたいなものが「なにこれ…カッコイイ……」って脱帽して憧憬へとつながっていく。
 
このアルバムはとにかくこのアルバムが出来た70年代のある種の奇跡のような巡り合わせで出来た名盤だと思うのだけど(いや、断言できるほど70年代の音楽に詳しいわけではないのでこれはただの雑語りなのだけど)、今でも尚、色褪せない魅力が凝縮されている。
 
前述で『Street Walkin’Woman』をめちゃくちゃ褒めたけど2曲目の『You Taught Me How To Speak In Love』は前の曲との浮遊感ときらびやかさのギャップがまた良いバラード系の名曲だし、ロバータフラックのカバーの『Feel Like Making Love』なんかは完全に独自の世界を作り上げていて、もう十年以上聴いているのだけどこれから先10年〜20年以上聴き続けられるんじゃないかって“強度のある”仕上がりとなっている。『Feel Like Making Love』にいたっては原曲より、マリーナ・ショウ版が好きだし、僕。
 
そんな感じでカッコイイとオシャレな雰囲気が結びつかなかった自分が一瞬でぶっ壊されて、
「オシャレ=カッコイイ!」みたいな価値観が新たにインストールされてソウル、ジャズ、フュージョンとかを聴き始めることになる。結果として全てがつまみ食いになって、ジャンルで特に語れることのない中途半端な人間が出来上がったのだけど……
 
まあそんな中途半端な僕とは違って、マリーナ・ショウの『Who Is This Bitch,Anyway?』はジャンルの印象自体をぶっ壊す“突き抜けた”カッコよさを持った名盤だ。
AppleMusicやAmazonMusicで聴けるようなので、聴いたことがない人は試しに聴いてみるのはどうだろう。
もしかするとジャンルの垣根を越えた音楽体験ができるかもしれない。
というか最高なのでみんな聴いて。
 
今日はそんなところで。

*1:今も典型的な…雑魚オタク……ですけど……

*2:いやなんかちゃんとファッションセンスがある人が調整すれば逆に今風になるかもしれないけど、十数年前はガチでヤバいと言われてた記憶があるんですよね。うろ覚え