えのログ

人生五里霧中

よしもとばなな『デッドエンドの思い出』を読んだ。

 

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

デッドエンドの思い出 (文春文庫)

 

 

読んだ。今日はその感想。

 

人生、色々とあるものだけどよく思うことが「フィクションのような整合性が無いなぁ」なんてことがある。
 
Aというフラグが立ってA’のような出来事が起こるのではなくて、後から色々と振り返ってみて、Fという出来事の機転が「もしかするとAが原因だったのかもしれない」なんて感じたりすることがある。
トラウマとか心に残ったしこりのようなものは本当にそんな風に、一見関連が無いようなことがじわじわと自分に影響を与えたりする。
 
よしもとばななはこれまで読んだことが無かったのだけど、そんな人生の中のしこりのような感覚を切り取るのが上手い人だなぁと読んで感じた。
衝撃的な出来事がイコールで繋がるだけが人生じゃない。色々と側からみると些細なことが当人にとってはとても重要なことであったり、側から見て大きな出来事が当人からすると大きな出来事ではなくてそれによって周りが騒ぎ立てるほうが嫌だったりする。
そんな感覚的なところというのは物語に落とし込みにくい。なにせ当人だけの感覚なので、家族が死んだから悲しくて泣くとか、恋人に裏切られたからにくい、みたいにスルスルと無条件に「そりゃそうだな」と感じるように物語を構築できないからだ。でも、『デッドエンドの思い出』に入っている短編はそういう感覚を上手く読者に伝わるように構成されている。
 
僕自身、感覚的というか感情的に生きているところがあって、そこをナントカ人に説明したくてこうしてブログとかで言語化しようとしている節があるのだけど、だからこそとても読んでいて心地が良かったし、この本を読み終わった後に良い気分になれた。
 
以前何かの記事で書いたけれど、僕は小学生の時に父が亡くなっている。
だけどそれ自体がとても辛く悲しいことかというとそうでもなくて、(いやある程度悲しいことではあったのだけど)割と自然な出来事として自分では受け止めていた。ただ周りはそうではなくて、「かわいそうに」とか「普通じゃないんだよ」みたいな目線で見られることがあって、そっちの方が僕としてはしんどかった記憶がある。
『デッドエンドの思い出』の表題作で、そんな曖昧な感覚みたいなものを登場人物の一人が話していて、とても救われた気分になったりした。自分のあまり共感されない感性が、自分以外にも存在するのだと思えることはそれだけで助けになる時がある。
 
エンターテイメントな作品ばかり摂取していたこの頃だけど、そんな日常で共感を得られない感覚の置き場所になるのが小説の良い点の一つだなぁと感じたりした。
 
他のよしもとばなな作品も読んでみようかな。
 
今日はそんなところで。