えのログ

人生五里霧中

6/17 サボりおわり。最近読んだ漫画の感想とか

ここ最近、日記とかサボっていたけどなんとかやり直していきます、えのログです。

 

何作かTLに流れてきた漫画を読んだので感想メモ的なのを。

 

・鬼

shincomi.shogakukan.co.jp

 

 

TLとかで「この漫画には意味がない」とか「価値がない」みたいな意見をよく目にしたのでやや擁護の姿勢で感想をツイートしてしまった。

自分は『鬼』を「うぉぉぉおもしれえ!」とは思ってはいないのだけど、「17歳が書いた」以外にもこの種類の作品にはこの種類の作品としての需要があると思っているので、ややこれについての酷評には同意しきれていないところはある。

 

まず、こういう露悪趣味な作品は露悪趣味な作品としての面白さがあると思うんですよね。それは「厨っぽい」とか「安っぽい」と言われる面白さだったとしてもたしかに存在している「面白さ」ではあると思うんですよね。

「徹底した救いのなさ」という様式の中でそれをしっかり描ききっている、というのは評価できるポイントだと思うんですよ、そういう“最悪さ”を楽しみたい人にとってみればその一貫性が売りになるんですから。

だから「17歳がこれを……なんというそこしれぬ闇……!」みたいな作者の人格を評価軸(いや、そういう評価軸があるのかは知らないんですけど)を入れる必要性はそこまで感じていなくて、ある種の需要に対してしっかり供給が出来ている、ということはちゃんと評価されてほしいなと(そのパイがデカイかは知らない)

なので作者が他にどんな作品を書いているか、とか、作者のパーソナリティーはそこまでこの作品の評価には関係ないんじゃないかなぁと。

 

あとツイートでも書いたんですけど、「救いがないからこその救い」みたいなものも自分は少し見てしまっている。これはやや自分の感情に引っ張られている感想ではあるなぁと思うんだけど、お話読んでて救いばっかだと逆に窮屈になったりするんですよね。

自分の過ごしている日常、世界とかが常に起伏のある漫画のようなものではないし、それに対して救いを求めて漫画を読むときもあれば、自分の心情に寄り添ってくれることを求めて漫画を読むときもあるわけじゃないですか。ひどい環境で再起しようにもできない人とか、まだ再起できない人もいて、それで「自分だけじゃない」なんてゆがんだ慰めを求める人だっているわけですよ。そういう意味で『鬼』の救いのなさはそういうのを望んでいる人には価値があるなぁと。

 

まぁ〜あと「賞を出すと、その作家に対して、その方向性で進め」というメッセージを出すことになるからどうなんだ、って意見も見たりした。確かになぁ、と思う反面、やっぱりそういう需要(鬼、のようなひどい救いのない話)があるのでやっぱりこれが賞を取るのはいいんじゃないだろうか。

 

確かに『鬼』は色々な物語的な起伏を作れるところが抜け落ちていて、エンタメしていない作品ではあるけれど、逆にそれが(作者が意図したかは別としても)徹底できていて作品として成り立っている、というのがやっぱりアピールポイントだと思うんだよな。

「こんな作品が連発してきたらそれにも賞を与えるのか?」という意見も見たけど、それは二匹のドジョウでしかないだろうし(いや、自分はこの賞を他の回とかしっかり読み込んでないのでざっくりした印象でしかないんだけど)、「今のタイミング」で「おそらく他にここまで陰鬱さを徹底した作品がなかった」から評価されたものだろうから良いと思うんですよね、今回賞を取るのは。

 

ある程度「面白い」物語を作れるって人はいると思うんですけど、お話を「面白くする欲望」みたいのを徹底して抑えて、救いも起伏もない作品を描けるってのは良いんじゃないかと……「もっと面白くできるでしょ!」って感想をチラチラみたけど、いやそこで徹底して「面白くしてない」からすごいんじゃないのと思いました自分は。

 

妙に長々語ってしまった……そんなことを『鬼』からは思いました。

 

・#わすれてしまうわたしたち

 

d.morningmanga.jp

 

これめっちゃ好きですね。

自分がそこまで「今」の文化に詳しくはないけど、それでも時流を捉えたうえで人間関係に落とし込んでお話を作っているなぁと感心してしまった。

今の自分はインターネットの人間関係ってある程度距離を置いていたり、リアルの知人ともつながるツールとして使っていたりで良くも悪くも「自分の人生に影響が出ないツール」になっているんですけど、昔めちゃくちゃチャットとかインターネットの人間関係にどっぷりだった時期があったんですよ。それはもうインターネットで仲の良い人と「こんなに気があうのに俺は現実に友達少なすぎるつらい……」みたいにへこんだりして色々情緒不安定になっていたりするぐらいだったんですけど。いや、そういうインターネットの人間関係を通じてコミュニケーションの楽しさを知れたのもあって、キラキラしてないまでも、今ではリアルの人間関係をそこそこ楽しめているというのもあるので一概に黒歴史にはできないんですけど。

ただ、過去にインターネットで築いていた人間関係ってもうほとんど無いんですよね。自分から消えたのもあるし、もう関わっていた人も痕跡がなかったりする。

リアルの人間関係も、極論すると同じなんですけど、Twitterとかの人間関係ってアカウントが消えていたり、停止していたりして「ない」ことが可視化されるんですよ。「はいもうあなたたちのことわすれました(わすれられました)」みたいな。

リアルの人間関係みたいに漠然と「最近あってないけど昔仲よかった人」みたいな白か黒じゃない曖昧さがある。

そこの残酷さ?みたいなものと、それでも残るつながりみたいなものが描かれていたし、この人間関係の描きかたは今のインターネットとかを介さないと生まれないものだろうなぁとか考えてしみじみしたりした。

 

 

なんか軽く書くつもりが妙に長くなってしまったのでこんぐらいで。

「面白いよ!」ってオススメしたいのは『#わすれてしまうわたしたち』なのでみんな読んでください、めっちゃいいですよ。