えのログ

人生五里霧中

『涼宮ハルヒの憂鬱』読み返しメモ。長門の眼鏡が外された件について『データベース消費』と絡めて考える。

 

 

 

在宅勤務がそれなりにあるので仕事中はアニソンとか色々垂れ流しているのですが、ハルヒのキャラソンを流していたら妙に懐かしくなって再読てます。

ちょっと前に『涼宮ハルヒの直観』が出た時に電子書籍でシリーズがセールで安くなっていたので、ちょうどよかった。

 

改めて憂鬱を読むといや〜面白い。

十代のリアルタイムの時にはわからなかった涼宮ハルヒというキャラクターの機微が昔よりもずっと身近に感じるし、キョンハルヒという二人を通して描かれる日常に対しての諦めであったり、その上での希望が切実に書かれているなぁと。

 

今回のブログはそこらへんではないんですが、改めて読んで思ったところがあったので。

 

長門について

 

それまで一方的な情報開示が長門たちからあってキョンが「何言ってるんだ」みたいなノリで続いていく日常が一変する朝倉の強行からの長門の戦闘なんですけど、ここがやっぱり面白い。

ちょっと愉快なそれまでの日常から物語が完全に転換される感覚がして良い。

ただここで話したいのはその戦闘の後の件です。

下記の件。(憂鬱の電子書籍版から引用してる。)

 

「あ」

 わずかに唇を開いた。

「眼鏡の再構成を忘れた」

「……してないほうが可愛いと思うぞ。俺には眼鏡属性ないし」

「眼鏡属性って何?」

 

 

この件。

この件の後に長門は眼鏡を外したまま行動することになる。

 

長門が眼鏡を外す件については、割と当時読んだ時も「ベタなやりとりだな」ぐらいの感情で読んでいて特に気にも留めなかったんですけど、振り返るとこのやりとりの延長に長門の自我の発露であったり、消失などがあるのだなぁと。

元々長門情報統合思念体が人類とのコミュニケーションのために生み出したヒューマノイドインターフェースなわけで、その外見とかも情報統合思念体が最適化して作り出しているものなはずで、長門の外見は長門の思考とは関係ないんですよね。眼鏡も実際長門は視力が悪いわけが無いので、『眼鏡』という属性ですら情報統合思念体による周囲に溶け込む、キャラ設定の一環でしかない。

 

そんな長門が眼鏡を外す、というのは(眼鏡っ子が眼鏡を外すのは、もう散々擦られて最近はあまり見なかったり、そもそも眼鏡を外すことによる脱却が必要なのか、とか色々な観点が出てますが)情報統合思念体支配下からの脱却の始まり、自我の発露とも解釈できるなと。

 

消失での長門が一番そこらへん強く出ているなぁという印象だったんですけど、長門長門個別の行動を起こす(この時点では偶然再構築をしなかったのをキョンが後押しした程度なのでそこまで主体的な行動では無いですが)流れは『憂鬱』から既に出来ていたのだなと。

んで、そこらへんを「良くできているなぁ」と思い返していたらふと思うところがありました。

 

そもそも情報統合思念体って何か。

それによって生み出された長門という存在にとっての眼鏡って何か。

長門というキャラクターのストーリーとしての描写として捉えていたんですけど、もっと色々解釈の余地があるなと思いました。

 

どういうことかというと、前提として必要になるのが東浩紀の提唱した『データベース消費』という概念です。

 

ふと思い出して読み返しちゃったよ。こっちの感想もそのうち書こうかな。

 

 

細かいことを説明していると話がとっちらかってしまうのでまぁざっくり書くと、

キャラクターを構成する要素(それこそ眼鏡など)からコンテンツとか二次創作とかフィギュアとかが生まれていて、オタクはそれを楽しんでいる。あくまでデータベース内にある要素をアウトプット(シミュラークル)から見出して楽しんでいるので、二次創作とかも何もかもデータベース消費をしているオタクにとっては等価、みたいな話。(だったと思う)

この『データベース消費』は『物語消費』に対しての概念だったわけで。

もうオタクは「大きな物語」に関心はなくて、重要視しているのはシナリオでも設定でもなくてデータベースにある要素こそ重要だと、そんな感じの話をした概念でした。

まぁこれは色々と議論になって肯定も否定も散々やられたのでそれについて今更どうこう書こうとは思わないんですけど、(憂鬱について今更書いている人間が言うことじゃない)それについて肯定でも否定でも何かしら意識的に行われた風潮は確かにあったと思うんですよね。影響は多かれ少なかれあったと。

 

何が言いたいかと言うと、長門が眼鏡を外す件はデータベース消費に対しての意趣返し的な意図があったんじゃないかな?と思ったんですね。

 

情報統合思念体について。

下記は『憂鬱』で長門の家に呼ばれた時の説明。

 

 情報統合思念体

 銀河系、それどころか全宇宙にまで広がる情報系の海から発生した肉体を持たない超高度な知性を持つ情報生命体である。

 それは最初から情報として生まれ、情報を寄り合わせて意識を生み出し、情報を取り込むことによって進化してきた。

 実体を持たず、ただ情報として存在するそれは、いかなる光学的手段でも観測することは不可能である。

 

 

これ、情報統合思念体をデータベースのメタファとして読めるんじゃないかなと。

ただ情報を集積し続ける存在。

そこから考えていくと情報統合思念体/長門の関係はそのままデータベース/シミュラークルの関係に置き換えられます。

だからこそ『憂鬱』開始時点での長門を構成する最たる要素は「眼鏡」なんですよ。データベースから生み出された眼鏡っ子というシミュラークルのメタファ、それが長門です。

 

じゃあそこから長門の自我が目覚めるとは? 長門独自の行動が生まれるとは……?

 

そのうえで考えます。

『データベース消費』ではそこからのストーリーもデータベースにある要素でしかないので、無限に既存の要素を組み合わせでしかないのですが、ここで出るのが「……してないほうが可愛いと思うぞ。俺には眼鏡属性ないし」というキョンとのやりとり。なんてベタ、って思うんですがこれもまたデータベース的なものでは!?(このやりとりもまたクリシェでしかない)だけど、長門は眼鏡を外す必然性がないのにその後に眼鏡を外す=情報統合思念体の意図の介入しない行動が起きている。

ここで示されているのは長門の自我の発露=代替可能なものではない『長門有希』という個別の存在のストーリーなんですよね。

 

つまり、長門が眼鏡を外す一連の流れは『データベース消費』を踏まえてデータベース/シミュラークルの関係に情報統合思念体/長門を重ねながら、これまた眼鏡を外す=新しい自分というテンプレ的な展開を用いながら『データベース=情報統合思念体からの脱却』を試みた描写なんじゃないかと!いや、ちゃんと物語あるし、長門長門だからと。うおおすげえ!批評的文脈だ!

 

これがどれだけ狙って行われたものなのかはちょっとわからないんですけど、こういう試みから描かれているのだとしたらちょっと並大抵の文脈じゃないと思うんですよね。そりゃ大賞受賞するわ。

 

実際のところ、ハルヒがブームになって長門2chとかで『綾波系』と言われたり、東浩紀ハルヒを著作で触れたりと文脈への再回収が試みられたりといたちごっこになっている見方もできるんですが、そういう試みが行われているのではってところが面白いなぁと。

(まぁ綾波系と言われる括りもだいぶ雑だなぁと思うし今なら速攻でツッコミ入ったと思うんですよね。そもそもエヴァもTVで「ただのコピーとは違うわ。人の意思が込められているもの」と言っていたり、破では「綾波綾波しかいない!」とか言ってたり、Qのインフィニティの成れの果てとかまぁ結構な反論となる件があるんですけど)(早口でしゃべるオタク)

 

まだ読み返しが『憂鬱』だけなんで続きもここら辺意識して読んでいこうかと思っていたり。

他にもハルヒとか諸々書きたいなぁと思っていること(別に批評的な文脈の解釈ではないですが)があるのでまたそのうちブログに感想とか書くかも。

 

まぁちょっと荒い読みというか既に言われていそうで怖いところですが、思いついたので。

そんな感じです。