えのログ

人生五里霧中

僕ヤバ雑感『僕は大人のなりかけ』

 Twitterでは毎回叫んでいますが、今回の話は「うお〜すごい」と思ったので少し冷静に書き残しておこうかなと。

 

 今回の話は『変化』についての書き方が凄い回でしたね。

声変わりという男性特有の成長による変化。山田家訪問での「大人」というキーワードからこのように市川の個人的な変化に対しての不安の問題に繋げて、山田という他者によってそれを別の視点から肯定する作劇の巧さ。

 僕ヤバ、やはり凄いなぁと。

 

 

 今回の冒頭のイマジナリー市川とのやりとりでもある「友達の距離感」というのは市川にとって山田との関係で結構前から懸念としてあることでした。

Karte.49『僕はモヤモヤする』でイマジナリー市川(濁川君)が出た時から「自分は女友達と同じ感覚で接せられているのかもしれない」という不安がコミカルではありますが描かれています。

 その後骨折騒動などでなんやかんやあったものの、市川にとってそんな日々は間違いなくトータルで楽しい、大切な日々であるはずです。山田との交流だけでなく萌子さん等のそれまでは市川の世界にいなかった他者が増えた時期でもありますし、中学受験の失敗といったトラウマを溶かすことが出来ました。

 

 僕ヤバ1巻から市川にとっての青春は始まってはいますが、ある意味これまでで一番楽しさを感じられている時期と言えるんじゃないでしょうか。友情か恋愛かはわからないまでも確かな山田との信頼関係を感じられ、山田以外の人間関係もうっすらと出来始め、自分の過去とも折り合いがつけられた。

 これは市川にとって間違いなくポジティブな『変化』だったと思います。

 

 ただ、同時に変化、大人になることは良いことだけでもありません。

骨折騒動から山田家での鍋を食べている時の山田の不安。それまでは悩まなかったはずの山田にとっての不安は自分が誰かを傷つけてしまうこと。これは市川がいうように「山田が大人になったから」というのも(100%ではないにしろ)あるでしょう。

大人になるということはそれまでとは違う視点を得ることでもあると思います。そうなった時に、それまでは無邪気に気にせずに幸せでいられたことが無条件に甘受出来なくなることでもあります。

 成長することで、山田は山田なりに周囲の人の優しさの真偽を気にします。きっとそれはそれまでの山田にはなかった視点です。僕ヤバは悪意のほとんどない世界かも知れませんが、それまでは気づかずにいられたのは誰かの優しさに甘えていただけかもしれない、そんな疑いだって生まれます。

 

 そして山田同様に、市川の大人になることの不安が出たのが今回です。

市川にとっての大人になること、というのは精神的なものよりもむしろ身体的なものが先にきます。

声変わりは、ある意味で市川に自分自身が「男性である」ということを突きつけてくる変化なわけです。

市川にとって「自分は女友達と同じ感覚で接せられているのかもしれない」というのは山田に恋愛対象としてみられていないのではないか、という不安であると同時に自分を守る防護壁でもありました。変わらない限り、恋愛的な成就は別としても山田との信頼関係を保つことはできる。

「男性」として成長してしまうと、「女友達と同じ感覚」では関われないかも知れない。それが市川の声変わりに対しての恐怖です。

 

 市川にとって目の前の信頼関係を信じるということは、3巻であった山田とのトラブルの時のようにそれだけでとても勇気のいることです。でも、そうして自分の壁を超えて信じた先でも、またその関係が失われるかも知れない時がくる。

 「いつか」は来る、でもその「いつか」が自分の気持ちに関係なくやってくるというのは市川にとって覚悟をしていても、できるならば避けたいことでしょう。

だからこそ、山田にもなかなか声変わりを教えられなかった。

 

 でも、山田はそんな変化を「いいなぁ!」と言うんですよね。市川の悩みに気づいてないディスコミュニケーション、でもだからこそまっすぐなこの言葉は市川の不安を払拭させる言葉になる。

 山田にとって変化は望ましいこと。それはきっと巡り巡って市川の言葉かもしれません。

「大人になったということでは?」と市川が山田の不安を肯定的に捉えた言葉が、また市川に返ってきたという可能性。

 山田からしたらそりゃ肯定的な反応になりますよね。なにせ自分がネガティブに捉えていた「成長」をポジティブな意味に変換してくれたのは紛れもなく市川なんですから。

 まだ見ぬ市川の側面を楽しみにする、変わっていく二人の未来が楽しいものであると信じる。山田と市川のポジティブ/ネガティブの捉え方は時によって互いを行ったり来たりしますが、こうした循環は美しいなぁと思います。

 また、それまでは市川と山田は「僕らは似ている」というそれまで全く異なる他者だと思っていた互いに自らを見出す、という形で関係を深めてきましたが、今回は明確に「自分とは違う」というところに良さを見出す話でしたね。

 

「人はお互いが肉体の中に違う心を持っているから“恋”をするの!」

 

 とは植芝理一の『夢使い』の三巻のセリフですが、そんなことを思い出しました。これから自分と同じところを見出していた市川と山田は「自分とは違うところ」に惹かれていくのかもしれないですね

 

 話を戻します。

 そして市川にとって山田に「声変わり」という「男性的な変化」を肯定されるということはそれだけに止まらないんですよね。

 不安でもあり、防護壁でもあった「女友達としての信頼関係」ではないことが間接的に示されているので。山田にとって市川は「実質女の子」みたいな愛玩的な交友関係ではなくて、あくまで「市川京太郎という男子中学生」として見ている、というメッセージとなって伝わります。

 

 市川にとって、「大人になること」「男性であること(それを実感させられること)」の両方を肯定する回で、それを声変わりというネタでまとめあげたのは成長、関係の変化の描き方として白眉だと思います。神がかってる。

 

 相変わらずTwitterわーわー騒いでいるところですが、ざっくりメモとしてはこんなところで。