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人生五里霧中

『やすお』私は好き

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自分は「好きだな〜」って感じだったんですがブコメとかだといまいち評判が良くなくて、「私は好きですよ!」って話を簡単に書いておこうかと。

 

『やすお』はかなり「現在進行形の今」の抑圧・被抑圧の構造のメタファーだよなぁと思っていて、それが自分の感覚としては凄いシンクロしたので好きなんですよね。

 

やすおは汎用お手伝いロボットと「いうような」存在で生活の色々な雑務をやってくれる存在。

それで主人公である愛子はやすおに対して「間違ったことを身体に教える」という体裁で暴力を振るう。

姉は「やすおにありがとうって伝えてる?」とか言っていて、それがやすおの「正しい」使い方であることが暗に示されている。

でも後半で「やすお」が国によって選別され、「やすお」「はなこ」でない人々の幸福を最大化するためによって調整された人間であったことが示される。

 

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ここで一気にそれまでの違和感であった愛子の立場に別の文脈が加わるんですよ。

「抑圧に気付いていながらもそれをどうにも出来ない普通の人」という文脈。(いや一応家が多分良いところでなどはあるのですが、社会・世界を一人で変えられないという意味での普通の人)

 

愛子は「やすお」「はなこ」という存在が「自分と同じ人間」ということに気付いてしまっているが故に露悪的に振る舞うしかない。全く自分と同じ人間がただ「運」としかいえない要素故に、人間ではない扱いを受けているという理由を受け止め切れないから。

一見「優しい人」であるような愛子の姉は自分としてはむしろ極悪に見えるところ。「やすお」が明確に自分と違い、使われる存在であることに欠片も疑問を抱いていない。愛子からすれば姉の言葉は「知らなかった」でもあるでしょうが、同時に「そんなのありがとうを言っても暴力も振るっても同じだろ」くらいの言葉ではないでしょうか。結局のところ個人の人権、人格を奪って自分の幸福追求のために使い潰しているのですから。

人の人生を奪い、自分の人生のために使い潰すことを(お手伝いをしてくれて)「ありがとう」のニュアンスで平気で言える方が個人的にはよほど邪悪に見えます。(いやまぁやすおになってしまった誰か視点ではずっとマシだとは思うのですが)

 

「やすお」と他の人間との違いがそもそもあるのか?という点についても暗に示されているのも好きです。

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愛子の恋人とのくだりですが、愛子は「付き合うというメリットを提供しているから人間扱いしない」恋人は「権力のために愛子と付き合う」という関係です。

愛子にとってやすおは「廃棄されないというメリットを提供しているから人間扱いしない」

 

恋人にも過剰に露悪的な振る舞いをするのは、心理としてはそうしないとメンタルのバランスが崩れるから、といったところでしょうか。

 

どっちにしても自分が存在していることで相手の現在の立場がある、という意味で近い関係性で、それ故に過剰に露悪的な対応に走らないと辻褄が自分の中で合わなくなる、といった感じでしょうか。

どちらにしても利用し、利用される関係であるのに「やすお」は完全に人権を剥奪され、恋人は人権を剥奪されていない、という状況に差異が見出せないというか。

同じような関係であるのに片方だけ優遇するような対応ができないというか。

 

『やすお』の作中の構造は現実でもいくらでも存在します。

それは私が「やすお」であるかもしれないし、私が「愛子」であるかもしれない。

私が仕事で無茶な個人の気持ちを無視した理不尽なことに合っている時は私は「やすお」ですし、私が人を知らず知らずのうちに抑圧し「愛子」になっている時は間違いなくある。(いや暴力は振るっていないが……)

 

例えば現在コロナ禍で、緊急事態宣言が都内ではあるわけですけど、自分みたいな飲食従事者じゃない人間は素朴に「飲食閉めてくれねえかな」とか直感的には感じてしまうんですよね。でも、それで生活している人、まだそれで十分に収入がある人とか生活が成り立っている人はともかく、ワーキングプアであったり、相対的貧困に陥っている人がそうなったら致命傷なんですよね。

 

たとえばこういうのとか。(最近読んだ) 

 

他にも無数にあるわけです。

コンビニ定員の人への対応だとか、ファミレスでの対応だとか、ソシャゲの運営のメンテナンスへの愚痴だとか、色々。

作中の「やすお」「はなこ」への選別対象者の19.8%は元ネタがわからない・もしくは架空のパーセントですが、実際にこの社会の何割かは「やすお」「はなこ」のような扱いを受けているんだと思うんですよ。

 

そしてその構造は何か思うだけでは簡単には変えられない。

それを透明化して、愛子の姉のように「ありがとうを言わないとダメだよ」と線を引くことが一番生きていく上では楽だし、正しいかもしれない。

でも、それができない気付いてしまうが何も出来ない人間がいる、という。

 

そういうわけで自分は『やすお』好きな話だったなぁと。

スカッとしない話かもですが、こういう目線がある、ということに救われる気持ちもある。こういう目線を持ち続けないことには色々な問題をいつか「解決しよう」という機運も生まれないわけで。

 

そんなことを思いました。