えのログ

人生五里霧中

制度と心情についての「認める」

 自分の視点では「これはよくないだろ」という明確な差別発言があり、その話題でタイムラインが埋まっている。自分としてもそれは良くないことであると思うし、その流れは「それはそうだろ」と思う。

 同時にここのところ「そもそも他人に認める・認められないなんて話になることがナンセンスだ」という話題も見るようになった。これは自分の中で半分そうだと思うし、半分同意できない。

 心情としては自分の中では人に認められないとしてはいけない心情なんてない。私は低予算で脚本が破綻したサメ映画が好きだけど、それがアカデミー賞の作品と比べて「演技が、映像がチープ」だとか「テーマがない」とかそんなこと言われても好きなものは好きだし、それを認めてもらう必要はない。いや、正確には否定されたくないのでそういう意味では「認めてほしい」という気持ちはあるが、そこは一旦脇においておく。

 じゃあ制度としてはどうか。

 例としてサメ映画を例に出したので話が伝わりにくくなっているのでぼかすのも面倒なのでそのまま書くとLGBTQ関係の話です。

 同性パートナーの事実婚では医療機関での入院や手術など、病院で万が一の状況になった時に寄り添えないみたいな制約がある。これは制度の問題だと思う。

 根本的に婚姻制度自体がおかしいとか、そういう論点もあるが制度として「認めさせる」ことが必要なのではないか、と思う。異性間のカップルと同性間のカップルで同等の権利を与えるということを「認めさせる」という必要。

 じゃあそういう後者に力点をおいて「認めさせる必要がある」という流れにおいて前者の「いちいち認める認めないとかどうでもいいだろ」って流れがあるのは、こう、しないでいい争いになっていないか、という気持ちがある。

 いや、さらにもっと本音を言うのなら「異性間の制度ですらなんでいちいち外野に認められなきゃいけねーんだ、傲慢だぞ」という気持ちもあり、そこの傲慢さへのモヤモヤはあるのだが。

 だけど、これは自分の視点で、釘を刺したい人には別のものが見えているのだろう(たとえば心情の話すら、「認めろ」とか「認めてあげるべきだ」というようなパターナリズムに陥っている発言とか)、とも考えると思う。個々人の視点について考えをもっていこうとすると結局身動きが取れなくなるなぁという葛藤がある。

 なんだろう、こう、難しいですね。どうしてもこういうことを考えると言葉を失ってしまう。

 正しさは自分にはわからない。