えのログ

人生五里霧中

『ルックバック』表現修正についての「嫌だな」という気持ち。問題が透明化してほしくない。でもなぁ、というもやもや。

shonenjumpplus.com

 

 あまり目に止まるような形でこの手の持論を書くのは今のインターネット上での立ち振る舞いとして損だし、よくても無理解な短文が飛んでくるだけだろうな、と諦めがあるのですがそれはそれとして自分の感情や考えたことを残しておこうと思ったので書きます。

 

 漫画『ルックバック』の一部表現についての修正が8/2に行われました。

 

www.youtube.com

 

 ラジオでも少し話したのですが、自分のスタンスとしては「議論がしっかりと重ねられ、明確な意図を持った修正ならばあり」「ただし履歴は残されてほしい」みたいなことを言いました。(ここについては後で補足します)

 ラジオでは考えながら話したため、少し言葉が足りなかったり、他にも言うべきこともあったな、と思ったのですが次の回で補足しようかな〜と思ってたらこうなってしまった……はぁ……

 

 前提として今回の規制にあるのは「統合失調症の診断を受けている方々への偏見助長」と読んで間違いないと思います。下記のような議論があり、私は追っていた。

 

mmkanimm.hatenablog.com

 

amamako.hateblo.jp

 

note.com

 

 ここで言及されている要素が全てではありませんが、今回の修正はこの手の議論がかなり比重を占めているものだという私は思っています。

 あらかじめ私のスタンスを書いておきますが

 

・作品のメッセージ的な意図は別として「これが統合失調症患者なんだな」という偏見が生まれる可能性は明確に存在すると思う。

統合失調症当時者が『ルックバック』を読み、何かしらの懸念、不快感を感じることはあっても少しも不思議ではないと思うし、むしろその感情自体は当然だと思う。考えすぎでも妄想でもない。

・その上でもっと今回の話は慎重に議論を重ねるべきだし、最終的に「修正しよう」というのならばその判断自体はアリだと考える。

・ただしオリジナル版、そのような表現があった、ということは明確に残っていてほしいし残すべきだと考える。

・今回私が明確に問題だと思っているのは、ネットの勢いで場当たり的な修正(に自分は見える)ことが行われて、現実にする諸問題が透明化(存在しないことに)されること

 

 

 

 

 

 まぁこんなことです。書いていきます。

 

 自分は『統合失調症』に(多分当事者でない人の平均よりは)感心があり、症状などについて調べたりもしていました。

 それは自分が抑うつ適応障害、ADHGなdで通院していて、それに関連して色々と調べるうちに「電車内で何かぶつぶつ言っている人」であったり、「インターネットでたまにみるおかしな言動」などが「理解不能な狂人」ではなく、「自分の延長線、パラレルな自分」と認識したからです。(通院が必要、薬が日常生活に必要という意味で)ifの自分なんですよね。

 インターネットでは(自分の観測範囲のせいか)どうにも「統合失調症」という事柄についてネタ的な消費、線を引いた言葉だけが飛び交っているように見えることが多いです。

 電車で何かを叫んだりしている人を撮影してアップしたり、MAD映像にしていたり、とか。全てがそうではないかもしれないけど、「そのような症状に苦しんでいる人」である可能性は確実にあるのに、そういう晒しあげってひどいことだと今の自分は感じてしまうんですよね。

 まぁ自分も2ちゃんとかで「アルミホイルをかぶる」みたいな話を見た時に「ネタ」と認識してしまっていたので同じ穴の狢で罪人なんですが。

 

 そんな感じだったので『ルックバック』を読んだ時に(京アニ事件かな)とか(これ統合失調症ステレオタイプにしてるな)とかは頭の片隅にはよぎりました。

 一応言っておくと自分の読んだ直後の感想記事は全然そういう内容載ってないです。

 

enonoki.hatenablog.com

 

 これは自分で明確な「取りこぼしだな」と思いつつも、自分が一番心に残った箇所を書き残したいと思ったため意図的にそのような要素を省き、自分が心が動いた箇所だけを感想にしたからです。

 ただ、それは自分が『ルックバック』という作品の一側面と「波長がとてもあった」だけの話で、だからこそ「自分のために、自分はここをまず書き残そう」と思っただけで、自分と感性の違う人は違う感想や意見を残すだろうなとも思いました。(だから後からラジオで他の話をしたところもある)そしてそうなってほしかったし、そうなりました。

 

 だから、統合失調症当事者の方が作品の表現に違和感を覚える、ということは私はむしろごく自然の流れに受け取りました。

 同じ属性だからといって、同じ存在ではないのですが、それを知らない(一応書きますが知らないことは罪などではないです。環境にすぎません)人から見たら同じに見える、というのは普通にあります。

 それで議論になったわけです。

 自分はラジオでも言ったんですが「コミックス初版本は注意書きくらいつけてそのままの表現で出すのがよいのではないか」「その上で議論が重ねられ、評論とかが出てその時、やはり適切ではなかったと認識したのなら修正するのは良いのではないか」「ただし、なぜ変わったか履歴は必要だと思う」みたいなことを言ってました。多分。

 

 これがどういう意図か少し説明を足します。

 そもそもインターネットの議論は速度が速すぎると思っていて、何と言うかインターネット上の人だけで完結しすぎという印象があります(これは自分自身にも返ってくるんですが)

 

 人種差別問題とかが話されていても会社で「コロナは中国が悪いんですよ〜」とか軽口で言う人が普通にいます。ネットで炎上するような言動というのは、タイムラインをみる感覚で日常を過ごすと常に遭遇します。(もちろん私の環境が良くない、という可能性はあるのですが・・・)

 そういうのを「嫌だなぁ」と思うし、あまりにも度が過ぎたらあれこれするのですが、大抵はあまりにも多すぎるし、ある程度「正しくない会話」を志向してされている会話なので、流します。まぁこういう自分も見てみぬふりをしている罪人だなぁ、とは思って生きています。

 

 そういう人たちはこの手の議論なんて多分そもそも見てないんですよね。見てもスルーしてる。「統合失調症の偏見を助長する可能性」という指摘があったとしても「何言ってんの?」にしかならないんですよね。そもそも問題認識のピントが合っていない。(実際そういう反応は腐るほどあった)

 

 そんな「インターネットの閉じた議論」で終わったらどうなるか。

 そもそも問題が透明化されるんですね。

 

統合失調症なんて知らない。そんな事柄聞いたこともない。興味もない。身の回りで見たことないし。ところで電車で規制あげたりインターネットで変なこと書いてる人怖い。集団ストーカーとかウケるな」

 

 そんな感じのことが平然と続く。ず〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っとその存在が認識されずに、放置されていく。そこに確かにいるのに。

 もちろん現実に取り組んでいる人もいますが、社会的にその存在が透明なままになる。

 

 まぁこれは過剰な期待でしかないのもわかるんですけどね、『ルックバック』ってそれを越せる可能性のあるすごい作品だと思うんですよ。そういう人で合っても「ああ、ルックバック読んだよ!」となる可能性はある。

 今回の議論で色々と初めて知って、考えている人、心を痛めている人、考えた上で問題ではないとする人、色々いるはずなんですよね。

 なんていうか、それってすごい価値があることなんですよ。そう思うんです私は。ちょっとした草の根活動じゃ届かなかった声、認識されなかった存在が、一気に認識される可能性がある。大袈裟に言えば世界が変わる可能性だってある。

 

 だから、『ルックバック』をきっかけに、評論が出たり、明確な書物としてそういう問題とかの記録が残ったのなら、(自分は表現修正がない方がいいなという無邪気なクリエイターに肩入れした気持ちもありつつも)規制をするのなら、「こういう経緯でそうなった」と語られたのなら、実際の症状であったりそれに伴うステレオタイプの何が良くないかも、もっと伝わるかもしれない。

 

 ちょっと自分でも勢いで書いているのでまとまり切ってなくて申し訳ないですが、このまま書きます。

 

 だから今回の修正はかなりショックなんですよね。なんていうか、もう忘れ去られるだけじゃないか、みたいな気持ちがある。インターネットの文章って、流れるし消えるんですよ。個人ホームページは消えた、色々なブログも消えた、ツイートも消える。

 まだそこは紙よりもずっと弱い気がする。(利点でもあるが)

 コミックスにする前にネットで公開されたものが修正されたらもう後には何も残らなくないですか?伝わらなくないですか?それって今回「修正の原因になった問題」を透明化しているだけではないのか?と思うんですね。

 いや、自分もブログを消したり、ツイ消ししたり、アップした小説誤字脱字修正したりもあるので、ダブスタなのはわかってる、わかってるんだけど……

 これは自分の印象に過ぎないのですが、「問題に向き合って対応したんだな」というよりも「問題が面倒なのでその箇所を変えた」という対応に感じてしまっていて、すごいもやもやしてるんですよね。じゃあ、その「ちゃんと向き合った」はいつなのか、何をしたらそうなるのか、はもう人によるのですが……

 

 なんでしょうね、ここまで書いておいて自分の感情論でしかないな、とは思うんですが感情は感情で大事だろ、という気持ちもあるのですが……

 なんというか、ショックだし、私は「よくないな」と感じたことは書き残します。

 

 

・補足 修正について

 

「議論がしっかりと重ねられ、明確な意図を持った修正ならばあり」

 これの前提として過去にも色々な作品で修正が行われていて(ジョジョ5部の腐れ脳みそとか)、だから表現修正というのはきっと起こりうることだろう、という現実認識がありこういう意見になっています。

 あと、ある程度ある種の概念にイメージ形成に創作物の表現が「影響する場合もある」(ない場合もある)だろうと思っていて、「影響する」「影響しない」と単純に白黒つけられるものではないなとおも思っています。

 なので丁寧な議論が重ねられてほしい、そこが記録として残ってほしい。曖昧な雰囲気で修正ではなく「これこれこういう議論、問題、理由があり、こう考えたので修正しました」と丁寧に語られてほしい、と思いました。今回の序文もまぁそうなのですが、これは言葉が足りないように自分は感じてしまい……

 

 

 

 ずっとわからないことばかりです。とりあえず考え続けたいなという気持ちはあります。

 

 

・補足2 この文章自体について

 

 たぶん、自分には創作物であったり、言葉に強い信仰心のようなものがあって、それが軽んじられた感じがしてこういう感情的な記事になっているのかなと思いました。そもそも漫画を全く読まない人からしたら、表現が修正されようが、そのままだろうが世界は変わらないんですよね、そういう断絶は確実に存在している。

 でも、何か表現、創作物によって世界が変わるのかもしれない、そんな気持ちが(どういう方向であれ)自分はあって、だからそれが悲しいというかモヤモヤするのかもしれないです。

 

 全部を説明しきれたとは思えないし、この文章が正しいのかもわからない(そしてこういう補足が予防線とディスられることもあるのだろう)が、とりあえず自分はこんなことを考えました。いつか(ひょっとしたら即座に)自分で気が済んで、もしくは嫌になって消すかもしれませんが、こういうことを考えたという話でした。

 もっと、インターネットは色々なことに慎重に悩んだり、言葉を丁寧に交わした方がいいと思っているですが、これも傲慢な考えだなと思いながら悩んでます。

 

 とりあえず以上です。読んでくれた人はありがとうございました。