えのログ

人生五里霧中

『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』が超面白かった話。

 

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 フォロワーさんからオススメしてもらっていて、タイムラインでもめちゃくちゃ評判が良かったので「見に行きて〜〜〜〜〜〜〜」と思いつつも感染状況とか様子見してだいぶ先になってしまったのですが、天カス学園、めちゃくちゃ面白かった!

 見た後の衝撃で「とにかく凄かった……」みたいな興奮に浸っていて帰りの電車乗り間違えました。

 

 一つ一つの要素だけで、一本の映画のテーマとなるような要素を打ち込みつつ、軸を風間くんとしんのすけ(かすかべ防衛隊)の関係にまとめつつ、それらを定義不可能なほどに拡張された概念である『青春』という包括するのが凄まじい。

 要素としては色々な問題意識みたいなものが見え隠れしていて、効率化・全体主義的な価値観に対してのアンチテーゼというか天カス学園での『エリートポイント』という物差しでのみ、個々人の価値を図るシステムに対しての個々人の魅力であったり、かすかべ防衛隊の絆だったりとあると思うのですが、最終的にそのシステムの否定だけでなく、風間くんとしんのすけ達の個人間の感情、希望の話に着地させるのが実に巧み。

 

 作中でかなり『エリートでなくてはならない』という規範が効率化、全体主義的な価値観になっているんですが、そこの扱いがとても上手いというか、それ自体であるというよりもその価値観に乗る/乗らないといった個人間の価値観の違い/断絶のようなものがむしろ作中の問題としてフォーカスされていた感じがあり、そこがすごく作中の登場人物の感情とシンクロかつ、キャラクターとして「風間くんはそうだよね」だったりしんのすけはこういうことするよなぁ」という納得感につながっていて話の中で過剰に浮いているような要素がなくシナリオが進行していくの、気持ち良すぎる。

 

 『天カス学園』という学園を支配する規範であったり、問題は『エリートでなくてはならない』という規範なんですけど、今作で凄くスポットのあたる風間くんにとっての問題はその規範とかに対してではないんですよね。

風間くん個人の夢といってもいい『エリートになりたい』はエリートになろうとする、エリートコースを進むことで実現されるし、おそらく実現できる夢で、それは天カス学園ともフィットしているんですけど、風間くんの問題はその結果、『しんのすけやかすかべ防衛隊のみんなと一緒にいられなくなってしまう』という不安なんですよね。

 

 人生の道が進んでいく、進学だったり、就職という人生の転換点というのはそれまで『同じ、一緒であった』コミュニティの分裂の機会でもあるんですよね。これはかなり最近のフィクションでも、現実でも感じるところなんですよね。

 自分が天カス学園見ながら連想したのは映画『花束みたいな恋をした』と現在のコロナをとりまくあれこれですよね。天カス学園自体とは違うんですが、ある意味で近いところが問題意識として通底しているというか。

 

 映画『花束みたいな恋をした』でメインの恋人であった絹と麦は就職をきっかけに「同じだ」と二人が共有して持っていた連帯感のようなものにズレが生じて、最終的な別れにつながっていく。

 現実だと、まぁコロナとかで色々人々の価値観、思想の違いが露骨に出ていて衝突とかが出ているわけじゃないですか。ワクチンについてとかそういうビックな事柄に始まり「どの程度自粛するか」とかのラインが人によってまったく違って、そういう一つ一つのことで人間関係は場合によっては変わってしまうわけですよ。 

 風間くんは小学校もエリートコースのために進学することを決めていて、そうなった結果これまでの友達と違う道に行った結果、いまそこにある友情を失ってしまうことに怯えているんですよね。だから天カス学園でもしんのすけやみんなに「一緒に勉強しようよ!」ということをいうわけで。

『映画クレヨンしんちゃん 謎メキ!花の天カス学園』が巧みなのは、天カス学園のエリートポイントのシステムがそれによってかすかべ防衛隊の人間関係にそれまで存在していなかった問題を与えて無から軋轢を生むというより、そもそも風間くんとしんのすけにあった元々の別離の問題を炙り出すための装置になっているというところだと思うんですよね。だから天カス学園のもつ『エリートにならなくてはいけない』といった効率化・全体主義的な価値観は作品としての重要な問題であると同時に軸は風間くんとしんのすけの個人的な問題としてブレていない。

 花束にしても、今をとりまくアレコレにしても、天カス学園にしても、新たに問題が生まれたというより、日頃では見えていなかった個々人の価値観の断絶があるタイミングで表面化してしまう、というのが肝なんだと思うんですよね。

『花束みたいな恋をした』だと変わってしまって、別れになってしまった過去であってもその交わっていた過去は決して消えないし素晴らしいものだった、というような描き方で自分はそれはそれですごい素敵だな〜と思っていたんですが、『天カス学園』はしんのすけたちがまだ幼稚園児で、これから無限の未来があって、そして「異なっていたとしても別れてしまうなんて決まっていない」というか、個々人の違いの肯定と、未来への希望を描き出してくるところが「こういう描き方もあるのか〜〜〜〜〜!!!!!」と感心してしまう。

 エリート対非エリートみたいな二項対立ではないところに常に物語の軸がある。天カス学園、とにかく要素が「今」を捉えているというか、ざっくり言おうとしてしまえば『多様性』とかのワードでもくくれそうな、個々人の肯定があるんですよね。ただそこの情報の出し方がとても巧みで、変にテーマとして鼻につく感じになっていない、主張が浮くような話ではなくて、とにかくかすかべ防衛隊の面々と天カス学園の人々の関わりの中で個々人の賛歌を『青春』というキーワードでやってのける。

 効率化、全体主義的なものの否定自体は物語の後半戦、犯人を当てるパートで先に済ませちゃうんですよね。皆を『スーパーエリートにすればいい』という全体主義的な価値観について、犯人を否定させることでその要素については明確にNOを突き立てる。

 そのうえで、最後のマラソンで風間くんであったり、チシオであったりと個々人の感情の問題を取り上げてクライマックスの盛り上げをやってくる。

 エリートポイントという効率化のためのお題目ではかき消されてしまうような個々人の葛藤・感情が、犯人当てパートで『スーパーエリート量産』という『効率化の果て』を否定した後だからこそ強く浮き上がってくる。いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜構成上手すぎるでしょ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

 

 個人的に特に感銘受けたのが、この手の効率化至上主義的な価値観については自分もずっと現在進行形で問題意識があって、「効率では測れない人の気持ちがあるだろうが!」とは常々思っているのですが、天カス学園は過剰なアンチテーゼというかその種の価値観に中指を立てて否定を叩きつける形ではなく風間くんの夢であったり、しんのすけとの絆、天カス学園の人々の素敵さといった点にフォーカスしていてとにかく未来への『希望』や個々人の賛歌をしている点なんですよね。

 自分語りだとこの辺とか、この辺とか、が『無駄なもの』に対しての肯定(それだけで書いたわけではないが)は書いてみてたんだけど、「こういうアプローチの描き方もあるのか!」と見ていて凄い新鮮な感動があったんですよね。何ていうんでしょうね、軸に効率化の否定だけを置かないことと、無駄なものの肯定をこういう風に両立できるのか、という素直な驚きというか。個人的にすごい新しく感じたんですよね。ちょっと自分の主観的すぎる文脈なのでこの驚きというか感慨をうまく伝えきれてない感じがもどかしい。

 

 他の点だとちょっとした部分部分も気が利いてて上手いんですよね。チシオが走れないって言われていたのに「あれ、走ってない?」みたいにしんのすけ達に駆け寄ってきてるシーンがあったり、全体的に些細なポイントが後々効いてくる要素の積み重ねが上手い。

 作中で中盤までどちらかというとネガティヴなワードとして見ている人間に感じさせる『エリート』という言葉も風間くんの手紙をきっかけに、風間くんにとっての大切な『夢』としての言葉になる反転も見事。

 

 いや〜かなり大当たりだったので配信とかでまた見れるならもう一回見たいですね。面白かった〜。