えのログ

人生五里霧中

通底するオシャレというテーマ。ピーナッツくん『グミ超うめぇ』についての話

 今回はピーナッツくんの曲について書きたいと思います。

 

 ピーナッツくんの曲なんですが、とにかく『良い』です。私はヒップホップの文脈に疎いのでそういった音楽的な評価は出来ないのですが、古臭さを感じない新鮮かつバラエティのあるサウンドであったり、一つ一つのリリックにピーナッツくんの思想を感じていて、そのテーマ性が聞くほどに味わい深いです。


 それぞれが粒揃いで、良さはどれでも語りようがあるなと思うのですが、一曲ずつ語っていこうかと思います。


 最新曲の『respawn』も最高なんですが、まだ自分が文脈を消化しきれていないので1stアルバムの『False Memory Syndrome』の曲をまずは書こうかなと。

 

 

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 さてこの曲『グミ超うめぇ』なのですが、これがまたとても良いリリックをしていると思います。
タイトル通り「グミ超うめぇ!」と歌い上げる、言ってしまえばそれだけの曲なのですが、
どうにも聴いているうちに「それだけではない」と感じさせる曲のように感じます。

 

 何処までピーナッツくんの意図したところかはわかりませんがそこには作家性というか、クリエイティビティの発露が確かにある。
優れた作家はちょっとした物事を書くだけでもそこにテーマを内包させますが、ピーナッツくんの『グミ超うめぇ』もグミへの愛を歌った曲でありながらそこには通底したテーマ性があり、ピーナッツというアーティストの魅力が込められていると思います。

 

 ピーナッツくんの楽曲に通底するもの、それは「オシャレになりたーい!」というセリフに象徴されるように、『オシャレ』の探求であるように感じます。
手前味噌ですが、私の感じるピーナッツくんのアニメで描かれた『オシャレ』観はこういったものだと思います。

 


 ピーナッツくんにとって「オシャレになりたい」という気持ちは始まりこそ他者であれ、アイデンティティになっていたと思います。
 それを模索する日常の中で様々な登場人物達と出会っていく、というのが『オシャレになりたい!ピーナッツくん』というアニメのシーズン1だったと思います。
作中でピーナッツくんが見てきたキャラクターたちは、アメーバによって滑舌のよくなったコバルト田中に「なんてこった。ぼくはあの滑舌が好きだったのに」と言ったようにそれぞれが魅力を持っていたのだと思います。
 それこそピーナッツくんにとって単細胞生物にされるよりもずっと『オシャレ』に感じるほどに。
 個々の持つ不揃いで定義できない煌めきのようなもの、それが『オシャレになりたい!ピーナッツくん』シーズン1における『オシャレ』だったのではないかなと。

 

enonoki.hatenablog.com

 


 アニメ『オシャレになりたい!ピーナッツくん』season1で描かれた『オシャレ』のように、『グミ超うめぇ』もそうです。
ピーナッツくんにとっての『オシャレ』という概念の一つとして、グミが存在していると感じます。

 

最後の晩餐もグミ食べたの誰かで揉めるキリスト

 

アラブじゃ高級食材グミ

 

ぐるナイとかにも出てくるべきだろグミ

 

 これらのリリックはピーナッツくんが好きなグミを過剰なまでに持ち上げるユーモアのあるものですが、すべて「一般にそこまでの存在と認識されていないが、グミが大好きなピーナッツくんにとってはそれだけのグミの魅力」についての表現だと思います。
現実では当然ながらグミが原因で最後の晩餐は揉めていないし、アラブでもグミはグミだし、ぐるナイにも(多分)出てきません。

 

 でも、そこに魅力を見出すこと。他の人がそこまでの存在と思っていないものを『オシャレ』と思うことについてのリリック、それが『グミ超うめぇ』のリリックだと思います。

 

 同時にこれは自己言及的な曲にも思えてきます。

 

 なぜならバーチャルYoutuber、Youtuberといったピーナッツくんが主戦場としている仕事自体、元々「そんな価値はない」と思われていた(思われている)事柄そのものです。

 ピーナッツくんにとってグミは『This is my favariteなアイドル』ですし、(おそらく世界が)『Colofulに染まっていく』くらい最高な存在です。
バーチャルYoutuberという存在も、強くその存在に好意を持つ人にとってはそうではないでしょうか?
「辛い時にみて元気が出た」というコメントを見ることもありますし、節目の動画のコメントやチャットでは一人一人にただの『暇潰し』ではないような熱量が宿ります。
少なくとも、今ピーナッツくん、ぽこピーの活動を追う自分にとってはそうです。
活動を通じて様々な表現の幅を広げていく様は、何か『新しいもの』が生まれていく様を見ているようで心踊ります。

 

消費活動で
消化活動で
排泄活動で

 

 グミについてそんな言葉で語りながら、それでもその価値を見出すリリックは何処かYoutubeでの動画投稿の姿と重なります。
何かの商品のレビューであったり、食レポであったり、といった活動は消費だし、消化だし、見ようによってはジャンクな情報を排泄するような行為かもしれない。

 

 それでもそんな価値がない、意味がないとされることに価値や意味を見出し、載せていく。他の人がくだらないと思うこと、切り捨ててしまうようなことに変質的な魅力を見出すこと、オルタナティブな価値『オシャレ』と思うことが世界を周辺の人々に始まり、徐々に世界を変えていく。

 

 それが『グミ超うめぇ』で歌われるグミという存在ではないでしょうか。

 

 この曲のMVですが、かなりそういった文脈を念頭に置くとまた見えてくるものが変わってくるように思えます。

 

 グミグミというゲームでグミ工場へ挑むピーナッツくん。(とチャンチョ)

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※パッと見だと1Pと2P切り替えながら2P選択するんで見逃しそうですけど、最初っからチャンチョもいるし2Pでやってるの芸が細かい。

 

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 グミ工場においてピーナッツくんという存在は『異物』です。
それでもピーナッツくんはグミ工場という環境で歌い、踊り続けます。

 

 YoutubeVtuberという環境の中でのピーナッツくんのいわゆる「イキリ」と重なって見えないでしょうか?
自らがシーンの中の王道ではない存在でありながら自らの存在を示し続ける、スタンスを示し続けるスタイル。


 それゆえに、他のグミと違い終盤、つまみ出されるようにボス戦へと雪崩れ込みます。
ボス戦を超えた後に、ピーナッツくん達が手に入れるのはグミ工場で手に入れたグミだけではありません。

 

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 自分たちがパッケージとなったグミ、新しくこの世に生まれたグミです。

 グミ工場、Youtubeという環境の中で自分たちも他の『This is my favariteなアイドル』なグミたちに負けない新しい『グミ』になってやるぞ、なってみせる。

 

オシャレになりたーい!

 

そんなMVに見えないでしょうか。

 

 ピーナッツくんの楽曲、常に色々な『オシャレ』の模索する攻めの姿勢だな、と改めて思いました。

いやーいい曲だ。

 

 そんな感じです。他の楽曲の感想とかもそのうち書きたいですね。

 ではでは。