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人生五里霧中

たとえあなたの『愛』が読まれなくても『私のジャンルに「神」がいます』2巻

 

 

 ついに先日『私のジャンルに「神」がいます』2巻が発売になりました。

『私のジャンルに「神」がいます』は『同人女の感情』というタイトルでTwitterにて真田つづるさんが連載しているシリーズ漫画の書籍版タイトルです。

 

シーズン1の最初の話がこちら。

 

シーズン2の最初の話はこちら。

 

 

 

 

 シーズン1の時点で話題殺到でタイトル通り同人創作界隈あるあるの抽出のうまさに始まり、「こういう人いるよな〜〜!」というのの煮凝り、概念化といってもいい『おけけパワー中島』の存在が集団トリップとでも言うかのような連鎖的な読んだ人々の自分語りを引き起こし、「中島の話をしているうちにいつの間にか自分の同人遍歴を語り出す」ような状況を引き起こすなどとにかくTwitterアップ当初から相当な話題を生んだTwitter漫画です。

 シーズン1からシリーズのちょっとした代名詞になった『おけけパワー中島』の存在にインパクトがあるのは大前提ですが、そのうえで同人創作界隈で生じる様々な人の心の葛藤であったり、創作についての悩みなどが『巨大感情』とは語られがちですが、そのキャッチーな印象に対してとても複雑な機微を丁寧に掬い取った漫画であったことはもっと語られても良いところだと思います。(これはあくまで私のタイムライン、もしくは見たタイミングで同人女の感情もといジャン神の感想がそこまで話題になってないというところに起因するのですが……)

 

 さて、シーズン2である『私のジャンルに「神」がいます』2巻ですが、これが1巻以上により繊細なテーマかつ、より深く掘り下げた群像劇になっていると思います。

 シーズン2の連載開始時から「凄過ぎる……凄過ぎてすごい……」みたいな感動しっぱなしだったのですが、そこについて少しブログに残しておきたいと思います。

 

 

・ジャン神におかえる「神」綾城さんという「神」についての話から、偏在する「神」の話へ

 

 これは個人的に「すごい丁寧な止揚のさせ方をしてきたな……」と物語のアプローチに唸ってしまったところです。

 

 同人女の感情シーズン1はそれぞれ視点人物の違う連作短編でしたが物語の中核は綾城さんという『神字書き』が焦点であったと思います。(もちろんたまきのエピソードなどほとんど綾城さんが登場人物の主観としては存在感がない回もあるのですが、ムーブメントのきっかけとしてコマの隅に出ているという意味で)

 綾城さんというジャンルに対して大きな影響力がある人に対して、どのように界隈の住民が揺れ動くか、それに対して住民がどのような自分なりの答えを見出すか、というところが大きな焦点であったような気がします。

 

 シーズン2ではその点が第一話『斜陽ジャンルに舞い降りた神』からかなり意識的に変えている印象です。まず第一話の主人公である「むぎ」にとっての神は綾城さんではありません。

 過疎ジャンルであった『バトコア』で細々と活動していた「むぎ」はある日突然ジャンルに舞い降りた執筆速度が早く、ジャンルの布教力もある「みつば」に大きく心を揺らされます。

 シーズン2一話『斜陽ジャンルに舞い降りた神』というサブタイトルにあるように、この話における「神」は綾城さんではありません。むぎにとってはみつばですし、同時にみつばにとってはむぎこそが「神」であるような読後感もあります。

 

 ただ、もっと考えてみると本当のところ、お互いが神という物語ですらないような気がします。

 

 そこがなんとなく感じられる会話が、第一話の時点で出てきます。

 一話でむぎはネイリスト*1に言われます。

 

 誰に何を言われようと…私は私の一番のファンですから!

 

そして、みつばさんへむぎもまた言います。

 

 みつばさん

 人と比べて焦ることなんてないですよ

 ライバルは自分自身ですから!

 

 シーズン1が綾城さんや中島といったジャンルの中核に位置する(そんな風に七瀬たち登場人物たちには見えている)人々の影響で揺れ動く人の心が中心でありましたが、同人活動、創作活動というテーマで捉え直した時にその尺度は大きく変わります。1巻の登場人物にとって綾城さんの小説は、間違いなく何かしらのイデアを描き切った作品で尊いものではありましたが、それはだからといってそれが世界全ての答えであることを意味しません。

 

 優れた作品、クオリティの純度という観点だけでいうのならばそもそも同人誌を読む必要すらないかもしれません。より優れたものを、より良い『商品』という意味では商業作品が常にそこを追求しているわけですから。(でもジャン神の世界が描こうとしてるのはそういう話ではない)

 

 改めてシーズン2を読み、改めてジャン神一巻を読んで思ったことですが、皆綾城さんと言う存在に大きなインパクトや好悪の感情を持ちながらも、それぞれにとっての『真実』とは違うように思えます。

 綾城さんの作品はどうしようもなくすごい。世界がある。

 では、そんな神がいる環境で自分が書く意味はあるのでしょうか? 待っていれば、自分にとって最高の解釈の物語が出てくるかもしれないのに?

 シリーズ最初期から登場している秀才字書きである七瀬は綾城さんに憧れ、中島の綾城さんへの関わりに心乱されながらもそれでも自分にとっての解釈を文章にすることをやめません。憧れとして綾城さんについての好意は持ちつつも、ただ自分の物語を書いています。

 

 作中で言われる「神」は二つの意味があるように思えます。

 一つは界隈や自分の解釈、創作スタンスに大きな影響を与える存在としての「神」

 もう一つは自分にとっての真実(解釈)を形にしてくれる存在としての「神」です。

 

 シーズン2では前者の「神」を綾城さんだけではない様々な存在に変えます。

 第一話ではみつば、第二話では生活そのもの、第三話では(七瀬のエピソードで綾城さんも相変わらずの神ではあるのですが、同時に)七瀬にとっての焦点はこの合同誌エピにおいては中島であるような気がしますし、第四話では蓮実さんです。

 

 それでも、自分にとっての物語を描くことが出来るのは自分だけです。

 同じ原点(原作)に触れていても人の数だけ解釈があって、人の数だけ好きなポイントは違います。それは技量があればあるほど抽出、アウトプットは簡単になるかもしれないけれど、自分の解釈は自分の中にしかありません。

 もしかすると、こういったジャン神2巻についての感想自体、他の人と感想としてはズレているかもしれない。

 だから、自分で書かない限りそこにその想い(解釈)が形になることはありえない。

 自分以外、自分にとってのかけがえのない解釈を形にしてくれる「神」はいない。

 

 それがジャン神における後者の「神」ではないでしょうか。

 

 シーズン1、一巻以上にそこがより繊細に、精度高く描かれていたのがシーズン2、ジャン神二巻であるように思えました。

 

 

・評価を超えて書きたいことを書くということ。自分にとっての『愛』を描き切ることについて。

 

 でも「神」が至る所にいて、自分の理想を形にするのは自分という「神」だけだ、と頭で思ってもそれを信じることはとても難しいです。

「感想に貴賎はない」「作られた作品に貴賎はない」「どの作品も素晴らしい!」そんな言葉はあらゆる界隈で飛び交っているような気がします。すなわち、アウトプットされたものに価値の差なんてないという価値観です。

 自分でも本質的にはそうだと思いますが、こうしてインターネットで文章を書いていて、「そのような理想通りではない」と思うような出来事はどうしても多くあります。

 

 作った作品にはブクマがつき、ツイートにはRT数やいいね数が現れ、反響のあるなしが可視化される。実生活において助けになることがないことなんかもザラです。

 自分の愛を込めて作ったものに対しての需要が少ないことが見えてしまう。

 世の中において自分大切で、かけがえのないものが不必要とされてしまう。

 

 それはたとえ狭い界隈であってもそうです。

 作中でむぎは過疎ジャンルであるにも関わらず、突如として舞い降りた「みつば」の反響っぷりに相対的に自分の作り出すものについての自信を失いかけますし、実際に同人活動を引退しようと思います。

 

 第二話の主人公の葵はブクマ数などではありませんが、妹から「ほどほどにしないと周りにイタい母親って思われちゃうよ」と言われてしまいます。生活、実生活を取り巻く規範において「二次創作」が「変なこと」という空気感によって活動をやめるか葛藤しますし、実際距離をとります。

 第三話の七瀬は過疎CPという需要の少なさとの相対、第四話の好野は自分の技量の未熟さへの葛藤。

 

 それらの葛藤は合理性であったり、「より優れたもの、より望まれるもの」を生み出す、という意味では「正しいもの」かもしれません。

 でも、登場人物たちがそれぞれ筆を取ったこと、同人誌というアウトプットを志したのは評価を望んだからではありません。

 

 一巻の話に戻ってしまうのですが、私がシーズン1で一番好きなのはたまきのエピソードです。

 

 

 大人気ジャンルである「金スト」の作者の過去作である「銀トリ」の素晴らしさに感銘を受けて作品をアップするも閲覧などが伸びず、自身の技量についての未熟さにも気づいてしまい一度は撤退するものの、毎日掌編を練習し三ヶ月で100本の作品を作り上げて、その練習の成果もあって一万字の物語を完成させるもネットにアップできない。

 友人の志乃はその様子を見てこう言います。

 

そんなにブクマ欲しいなら銀トリじゃなくて人気の「金スト」って漫画の方で書けばいいんじゃないの?

 

 それでたまきが言う言葉、これにある意味シーズン2で描かれることの軸のようなものが垣間見える気がします。

 

違う…そうじゃない!

私がこの4ヶ月努力してきたのはブクマをもらうためじゃない!!

あのね…志乃。私の頭の中にある最高の妄想を作品としてこの世に生み出すことが出来るのは私だけなの

無限の感動がここにあるのに私が書かなければ誰に伝わることもなく消えてしまう…!

そんなことは絶対に許せない

だから私は…この手を止めるわけにはいかないの!!

 

 本当にいいセリフだ……今引用しながら私は泣いています……いや、過疎ジャンルで読まれなくて諦めたので私は……(たまきのように真っ直ぐ自分の愛を守れなかったし、真摯になりきれなかった……)あと百日毎日書くのはマジで効果ありますね……オリジナルで2回ほどやっているのですが、すごくいい経験になりました……二次創作でそれを続けられる人は本当にすごい。

 

 同人女の感情、もといジャン神はある意味で『戦い』の話で、それは他者との戦いではなくて、自分自身の最初の筆を取った動機、衝動、つまり『愛』を如何ように様々な世界の比較であったり、合理性といったものから守り抜くか、取り戻すかの戦いであるように思えます。

 

 そういった意味でもシーズン1では『綾城さん』という一人の絶対的な存在からの影響であったものがシーズン2、二巻になったことで過疎ジャンルに舞い降りた他者であったり、生活からの圧力であったり、相対的に人気がないCPの中で愛を貫くことであったり、自分の未熟さへの葛藤だったり、ということに焦点がシフトしたのはよりテーマが深化されていて素晴らしいなと……いやシーズン2は本当に開幕から泣いてしまっていてもうなんかこう最高でした……

 

 作中で何度か語られますが、2巻ので七瀬や蓮実さんから語られる同人誌はこういったものです。

 

同人誌は夢なんだよ…こんな本があったらいいな読めたら最高だなって夢!!

 

同人誌は愛なんですよ!!

 

 同人活動、二次創作といった愛で駆動する表現活動。それを貫くことはとても難しくて、とても大変なことで、でもだからこそ他の誰にもできない価値があるということを書き続けている、それが『私のジャンルに「神」がいます』(同人女の感情)なのかなと。

 

 書籍版買って、バーっと読み返しての衝動で書いていて、「もっとたくさん語れることあるよな〜」とか「それぞれの話で語りたいことが多い!」とかもあるのですが、全体としてはとりあえずこんな感じで。

 とにかく、一巻に続き二巻も最高だったなぁと。読んでいて本当に元気が出る漫画だと思います。

 

 ではでは。

 

 

*1:このネイリストの方中島では!?!?!?!とかはもちろんあるのであったり話したさはあるのですが、どうなんでしょうね〜ほぼ中島な気もしますが……でも中島も人の心の数だけ偏在する……