えのログ

人生五里霧中

脱却を語り直す痛快さ。『マトリックス レザレクションズ』

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 年末で仕事が尋常じゃなくしんどくここのところ連勤でとてもしんどかったのですが、ようやく休みを取れて『マトリックスレザレクションズ』を見に行けました。(初日に行きたかった……)

 今回はその話です。

 

 いや〜〜〜〜〜〜〜これが最高でした!!!!!!!!!!! 観れて良かった!!!!!!!!!!!

 

 二時間半以上の上映時間というのもあり、「あのシーンが」とか「ここの解釈は」とか細々とした話はまだ捉えられていないのですが、作品から迸る「もう一度マトリックスをやるということ」に徹底的に自覚的・自己言及的な作品となっていて最高に好み。

 私の場合、小学生の時に初代『マトリックス』を観てそのアクションシーンの痛快さにどハマりして後半のモーフィアス救出らへんのアクションシーンを一日に何度も見ているくらい耽っていたのですが、時を経ていくにつれてアクションシーン以外の『マトリックス』という作品のメッセージなどに心動くことの方が多くなっていました。

 新作のニュースが出る前に見直した時も「記憶以上に文脈がたくさんあって、思想性の強い作品だな!」と感心していましたし、同時にその練り込まれたエンターテイメント性だったり、「よくよく考えるとこの映画独特な部分がめちゃくちゃあるな!」といった部分も「よくもここまで出来たなぁ」となってしまう喜びがありました。

 見直すほどに「痛快なアクションだけ」が売りの作品ではないし、作品から感じ取れるメッセージ、意思のようなものにとても感情が動く作品だなぁと思ったんですよね。

 

 正直、『マトリックスシリーズ』の新作が出る、というニュースを最初知った時は「ふーん」ぐらいでした。なんというかリブートで「痛快なアクションだけ」になっていたらなんというかガッカリだなと思ってしまったので。

 ただ公開された予告編に触れて自分の中で思っていた以上にワクワクする自分がいることに気づきました。なんというか「うお、まだマトリックスが好きな自分がいるじゃん」的な。「マトリックスが好きだった」ではなくて「マトリックスが好き」な状態の自分があるな、みたいな感触。

 それで改めて新作に備えて見直すと想像以上に作品のテーマみたいなものに与えられた影響の大きさを痛感。「え〜自分の価値観かと思ってたり、考えだと思っていたものめっちゃマトリックスで語られているんだけど!」な衝撃。マトリックスに限った話じゃないんですけど、そういうことめちゃくちゃあるんですよね。昔好きだったコンテンツに触れ直すと記憶に残っている以上に自分の価値観に影響を与えられている実感が追いついてくる、みたいなことが。

 

 『マトリックスシリーズ』というのがどういう作品だったのか、というのはもはや定義が難しく、その存在自体が大きな『現象』となりすぎていて不可能だと思うのですが(こんなんエヴァの感想でも書いた)、自分が見直した時に感じたのは『脱却』の物語であるように感じ、受け取りました。

 初代では『マトリックス』という仮想現実からの脱却、『リローデッド』では『救世主』というシステムからの脱却、『レボリューションズ』では人間VS機械という対立構造自体からの脱却なのかな、と。(ちょっとここはもっと丁寧に読み込んで言語化しないといけない部分なのでズレはあるかもですが大枠として)

 シリーズを経ていくに連れて『脱却』していく『世界』のレイヤーがより上位にシフトしていくような作品に思えたんですよね、マトリックス。(『世界』というのは『価値観』であったり『物語』と言い換えてもいいと思います。)

 

 見直した時、ある意味であらゆる『脱却』のメタファーとして受け取る材料自体は過去の三作で出来ているように思えました。なんというか、あらゆる人々が見て、そこに自分を見出せるような普遍性があった。

 でも、だからこそ今「何を語りたいのか」というところへの期待が自分の中にあったんですよね。

 原体験としてのアクションシーンの衝撃は自分の中でそれほど重要ではありませんでした。それは『マトリックス』という作品だったから、というだけでなくて純粋に自分が映画を見慣れていなかったとかそういう要因も感じていたので。また、大作映画のエンターテイメント性というか快楽原則に則った側面も(面白いとはもちろん思っているのですが)そこまで自分の中で重要ではありませんでした。

 私に取って重要で、見る上で気になっていたのは「何がやりたいんだろう」という点でした。

 その期待にバリバリに『レザレクションズ』は応えてくれた……! 

 

 誰にでも自分を見出せるかのような普遍性を自らかなぐり捨てて『マトリックス』をやりなおすぞ!という意思が迸っている。

 

 レザレクションズ序盤のゲーム会社に勤めるトーマス(ネオ)のパート、マトリックスが『ゲーム』であり、それの続編が出るということ、それを作りあげたトーマスのことをほったからして『マトリックスとは』と語られるシーンの全方位へ中指を立てるようなスタンスが痛快!

 その言葉のいくつかはもちろん自分にも突き刺さり、上記した『脱却の物語』と感じたことすら、というよりも観た人間が各々勝手に『定義付ける』という姿勢自体への反抗のように感じ、俄然面白みが増してきました。

 

マトリックスという物語を多くの人々の言葉としてではない語りとしてもう一度物語ろうとしている……!」という喜びがありました。『脱却』という観点で見た時に『脱マトリックス』をしようとしている! という衝撃。

 

 私は映画や小説に触れるときにそのコンテンツに触れる人々、受け手の『解釈』という行為からすり抜けようとする作品に惹かれます。それは自分がこのブログであったり、Twitterであれこれ書いているように「作品を解釈するのが好きな人間である」という自覚と「解釈、感想という行為が作り手に対して暴力的な行為でもある」という事柄が矛盾しつつも同時に存在していて、そんな自分のような存在を作品あるいは作者が目を逸らさずにいることが感じられるからです。

 

 解釈、感想というのはどこまでもエゴイスティックな行為であるように思います。「誠実な感想、批評」という言葉はあるし、それを実際に自分が小説を書いたときにいただいた感想とかで感じることもあるし、作り手/受け手の二者間にその存在はあるのですが、同時に私は作品の感想であったり解釈を書く時、書いた後に考えてしまうことがあります。

「もしかして私は、持論を展開するために作品語りをしたんじゃないだろうか?」という疑いについてです。作品のテーマを語るというのは、作品の語りをしているようでいつの間にか自分の話をしている場合があって、それはもっともらしく作品のテーマを語るようでいてもその実、自分の価値観を語っている場合だってあるのではないかという疑いです。

 こう書いてなんですが、それはもう証明不可能です。私は好きと感じた作品について感想/解釈を書くし、なぜ好きか、なぜ特定の作品を好きになるかというと自分の価値観にフィットする部分を作品に見出すからです。だからその疑いがあったとしても、語る上でなるべく作品に触れる回数を増やして、少なくとも「こう言っていると解釈できるよね」という精度は高めたいなぁと思って作品に触れているのですが、やっぱりその疑いは消えません。自分の意思ですら気分で変わるものだから。

 と、そういう考えがあるから「解釈、感想という行為が作り手に対して暴力的な行為でもある」という考えが最近自分の中にはあるのですよね。(もちろん作り手にとって理想的な読みがあり、通じ合う、暴力的でない瞬間は存在する)

 だからこそ、どこまでも作品が『解釈すること』=『定義づけ』から逃れるようなところを見ると嬉しくなってしまうんですよね。作品が受け手に対して全力でぶつかってきているような感覚がある。

 それは自分が虚構である物語を通じて現実に存在する人間を感じているようなところがあって、人間が理解しようとしても理解しきれないような奥深さを感じさせてくれるからなのかもしれません。

 

 あらゆるリブートのムーブメントであったり、「マトリックスとはこうだ」という鑑賞する人々に対しての拒絶をしながらも、もう一度『マトリックス』という作品を語りなおそうとする作品の姿勢に人間味のようなものを感じて痛快だったなぁと。

 そしてそんな『多くの人々の言葉としてではない語り』を出来たのは、過去の『マトリックスシリーズ』にあるキャラクターたちの意思のようなものがラナ・ウォシャウスキー監督や一緒に作ったスタッフへ働きかけたかのように『レザレクションズ』という物語から感じて、痛快だなと。

『脱却の物語としてのマトリックス』を『マトリックスシリーズはこういう作品』という解釈=定義付けが飲み込んでも、その作品に込められた、その作品の中で生きるキャラクターたちはそこから更に『脱却』していくのではないか、という感覚。

マトリックスという作品、シリーズ』が『脱却』の先に同じ袋小路があったとしても何度でも『脱却』してみせる、というような感触が見終わったときにあって、それがたまらないなと。

 

 そしてこんな感想も検討外れかもなぁ〜と思いつつも、そういったことを感じさせてくれるような反骨精神のようなもの、エンドの爽やかさを感じさせてくれてとても良かったです。

 ちゃんと内容押さえたいからもう一回見に行きたいな〜今回途中でお手洗い行きたくなってかなり集中が怪しいところもあったのでもっとコンディション整えてまた見たい……二時間半以上はやっぱり大変ですね……

 そんな感じです。