えのログ

人生五里霧中

他者=世界とどう関わっていくか、という物語としての『劇場版 呪術廻戦0』

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「誰かと関わりたい。誰かに必要とされて生きてていいって自信が欲しいんだ」

 

 

 

 アニメ呪術廻戦の劇場版ということで、ジャンプGIGAでの読切版、後にジャンプでの連載の呪術廻戦の前日譚となった『呪術廻戦 0 東京都立呪術高等専門学校』を描いた『劇場版 呪術廻戦0』観てきました。

 いや〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜凄い良い!!!!!!!!

 

 ということで今日はその話です。

 

・今『呪術廻戦』という物語の0を語り直すということの必然に満ちた劇場映画化

 

 今回の劇場版、楽しみにしてはいたんですが実のところ見に行く上でテンションとしてはイマイチ高めきれない状態で劇場に向かっていました。アニメ版の呪術廻戦の出来はめちゃくちゃに良かったし、それゆえに単純に画面がゴージャスという枠ではなくて「面白い映画」を見せてくれるんじゃないかという期待はあったものの「原作で既に読んでいる」+「読切版ということもあり連載時点のものよりもやや荒削り感のある原作」というところがあり如何に原作の良いところを再現できているかという『確認作業』になってしまうのではないかという懸念があったからです。

 そういう状態で見ると「ああ、良かったですよね」という白けた反応をしてしまいそうで、なまじ原作が好きで原作の物語に愛着がある分「ああ原作が汚されないで良かったわ」みたいな舐めた気分になってしまいそうなのもあって不健全だな〜とか思ってたんですよね。

 

 でもそんな私が一番終わってましたね……超良い映像化じゃないですか……

 

 劇場で見ている途中から『呪術廻戦 0 東京都立呪術高等専門学校』とはこれほどまでに『呪術廻戦』という漫画の確信部分を早々に描いていた物語だったのか! と自分の物語への解像度を恥じるような見事の再構成、再解釈っぷり。

 改めて前日譚として見せられることで『呪術廻戦』という物語で好きな世界の歪さ、救えなさ=呪いというものとどう向き合うかという要素が凝縮された物語だったということを感じさせられました。

 

 いや、私は友人に進められて呪術を読み出した始めた人間なんですけど、それもあって『呪術廻戦 0 東京都立呪術高等専門学校』から入ったんですよね。

 

 

 乙骨と里香の関係や「愛ほど歪んだ呪いはないよ」といったセリフが出てくる物語の『視点』など好きな要素がバリバリにあるとはいえ、設定面での練り込みであったり各キャラのバックボーンの描き方などに関しては連載版にあたる『呪術廻戦』の方が数段巧みになっていると感じていて作品のテーマ(これは芥見下々先生が設定したテーマというより、私が物語から一貫して感じられるという意味のテーマです。)にしても連載版についてばかり夢中になて解釈していたんですよね。

 

 特級呪霊である漏瑚の「我々呪いこそ真に純粋な本物の人間なのだ」であったり、五条と夏油の過去編の夏油の変貌といったあたりから優生思想的なものに対しての対峙であったり、少数の優れた存在が世界に搾取されていたり(直接的間接的とあれど)排斥されて壊れてしまう、といった描写が繰り返されていて、そんな世界、社会に存在する歪み=呪いにどう向き合っていくか、というのが『呪術廻戦という物語から読み取れるテーマ』だなぁと思っていたんですよね。

 

 でも、改めて劇場映画として原作からあったセリフや描写に映像化で『重みづけ』が行われ、原作の展開を踏まえたちょっとした映像が差し込まれて補助線が引かれることで「これほどまでに『呪術廻戦 0 東京都立呪術高等専門学校』から呪術廻戦という物語は『呪術廻戦』として一貫していたのか!」という感動がめちゃくちゃに出てきました。

 

 むしろ、ジャンプで連載開始された『呪術廻戦』という物語のテーマは『東京都立呪術高等専門学校』という物語で既に描かれていて、それを改めて、自分のような読者に対してよりわかりやすく、よりエンターテイメントとして伝わるように描きなおされているのだなという感覚。

 乙骨と虎杖にしても本編でも乙骨の口から語られましたが『自分の身に余る強大な力=呪いに呪われた存在』というところから要素としては同じなんですよね。乙骨/虎杖の相似であったり、『少数の優れた弱者』としての夏油を初めとした呪術師/呪詛師などの歪み、呪いであったりと点としては呪術廻戦とのテーマ面でのリンクを感じていた要素が今回の劇場化で一本の線で繋ぎなおされて、一期アニメのあとに見て『呪術廻戦』という物語の再定義のゼロとしてこの映画があるのは凄い秀逸だったなと。

 

・コミュニケーションの話としての呪術廻戦0

 

 今回の劇場版で一本の映画としてテーマが交通整理されているな〜と感じた箇所なんですけど、『呪術廻戦0』って世界とのコミュニケーションの話だったのだな、と。

物語のOP直前の五条と乙骨の会話、

 

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「もう誰も傷つけたくありません。だからもう外には出ません」

「でも一人は寂しいよ? 君にかかった呪いは使い方次第で人を助けることもできる。力の使い方を学びなさい。全てを投げ出すのはそれからでも遅くはないだろう」

 

 CV緒方恵美さんの繊細な演技とアニメーションの間の置き方、その直後にOPがかかるという構成によって「呪術廻戦0って人を傷つけたくなくてコミュニケーションを拒んだ少年がどうやって世界とのコミュニケーションを取り戻すかの話だったんだ!」と開幕目から鱗。原作からして描かれているセリフなんですけどね、そっからは真希さん、狗巻先輩のエピソードの位置付けもスルスル飲み込める飲み込める。*1

 漫画として読んだ時はある意味『一話完結の続き物のフォーマット』として「そういうもの」と思考停止して読んでいたなぁと反省する部分がありました。

 

 真希さん、狗巻先輩(いや乙骨に対しては先輩ではないが・・・)との共同の実習、任務も単純な設定説明ではなくて「乙骨がどう世界と関わることに再起するか(真希)ディスコミュニケーションを超えていくか(狗巻先輩)」っていう話なのだなと。

 真希さんとの最初の任務では自らの危険性、暴力性=呪いというものがあることを踏まえたうえで「それでも人と関わりたい」という意思を決定する話。

 狗巻先輩との任務は(語彙がおにぎりの具しかないから)任務前の元気付けるためのハイタッチすら敵意と解釈してしまっていた乙骨が、共同で任務にあたって「狗巻君は優しいんだ」と理解し、解像度を上げることで任務完了後は適切にハイタッチのコミュニケーションができる、というディスコミュニケーション克服の話。

 

 本来四話に分かれ、それぞれ起承転結がつけられていた各エピソードを『呪いによって世界との接続が切れてしまった乙骨憂太が、呪いによってどう世界との関わりを取り戻して肯定していくか』という物語として一貫性が付与されることで『世界との関わりを諦めた存在』としての夏油傑との戦いの前振りとして効いているな〜と。

 五条とのエピソードもおそらく二期で描かれる過去編を踏まえた回想シーンも原作よりも大幅に補完されていましたが、乙骨と夏油というクライマックスの対立構造に向けた前振りが非常に丁寧だった印象。

 

・二人だけで完全で完結した歪な関係としての乙骨と里香

 

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 映像化されて描写されることで今回初めて気づいたところ(といっても原作では周辺の情報はなく、里香についてはキャラ設定部分で匂わされる程度ですが)なんですけど、乙骨と里香の関係、呪い呪われ、というのを抜きにしても少し歪なんですよね。

これは結構意図的な演出だと思うんですが、乙骨と里香の幼少期には全然『他者』がいない。

公園で周囲に遊んでいる子供がいるのに乙骨には里香、里香には乙骨しか存在していない。この年頃の子供なら他の子供とも遊んでもおかしくない気がするんですよね。乙骨は里香の呪いで家族からも孤独になったのだとは思うんですが、徹底して乙骨/里香の二人は『二人だけの世界』として描かれている。

 乙骨の回想でも出てくる同年代は里香だけ。

 原作時点では周辺に子供がいる、といった描写は不要な情報としてカットされていてもおかしくないのですが、映像化にあたってそこら辺の違和感は『コミュニケーションの話として呪術廻戦0』として認識、意識すると一気に情報を帯びていく感じがあります。

 

 幼少期の乙骨と里香は二人で完全であると同時に、二人以外誰もいらない閉じた世界であるように描かれているように思えます。だからこそ、その『二人だけで完結した完全な世界という愛』が里香の死という出来事で破綻しそうになった時に『特級過呪怨霊 折本里香という呪い』へと転じてしまう。

 

 世界に対して失敗したコミュニケーション故に発生した呪いを今度は世界と適切にコミュニケーションを取るためのコントロールしようとする話だなと。

 

 そしてその関係、二人で完全という関係は今回の劇場版で大幅に補完されている若かりし頃の五条/ 夏油ラインとも重なる。『最強の二人』でそれ以外を必要としていなかったからこそ破綻してしまった*2、その後の人生に『呪い』を残してしまった関係性の清算として乙骨/里香・五条/夏油の二本の線が交わることで物語が終わりに向かっていくという構成が素晴らしく良い。

 

・「純愛だよ」について 、何が乙骨と夏油を分けたのか

 

 こうして見直すと「純愛だよ」と言いますが、乙骨のいう『純愛』ってのもやっぱり歪なんですよね。結果的にそうではなくても命は捧げる覚悟決めてますし、五条が『愛ほど歪んだ呪いはないよ』というように相当に他の高専のメンバーとの作中で育まれた絆と比較するとやっぱり歪んでいるように見える。

 でも、これも夏油との対比として効いていて、かつ乙骨の成長の一つの象徴的な要素かもしれません。

 

 夏油は少数の優れた存在である術師が非術師のために犠牲になるという歪みが要因となって道を外れてしまいました。そこにあるのは『歪み』という存在を受け入れられない夏油の潔癖な側面です。

 上で書いたように『最強の二人』という『閉じた世界』の夏油は歪みに耐えられなかったわけです。

 

 乙骨と夏油の何が命運を分けたのか。

 それは乙骨が乙骨/里香、という『閉じた世界』ではなくその『閉じた世界』を超えて他者と関わることが出来たということなのではないかと思います。自分の認識の外側の存在と関わること、そこと繋がりを持つこと、それが乙骨にとっての成長だったのではないかなと。

 終盤の乙骨の反転術式による真希さんたちの治療もそうでしょう。かつて死に瀕した里香を適切な力を使えず呪ってしまった過去と、真希たちを確かに救えた今は乙骨のその成長の証左であるように思えます。

 

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「分かんないよ! 高専以外の呪術師のことなんか知らないし!! お前が正しいかどうかなんて僕には分かんない!! でも僕が皆の友達でいるために僕が!! 僕を!! 生きていていいって思えるようにオマエを殺さなきゃいけないんだ」

 

 乙骨の言葉は夏油の言うように自己中心的な言葉ではありますが、同時に乙骨自身が関わってきた仲間を見た上でこの世界に希望を見出す姿勢でもあります。自分の身近な人だけでなく、呪術師/非呪術師という構造で世界を見て絶望した夏油とは対照的です

 

 元々、乙骨が呪術高専へいくことを決めたのも「誰も傷つけたくない」けど、「一人は寂しい」という点を五条に突かれたからでした。誰も傷つけたくない、という理想に対して、一人を寂しいと思うということには歪みがあります。相反する心がそこにあります。

 それでも乙骨は里香とだけの閉じた世界から外に出て、高専の仲間たちと会い、少しずつ自分を肯定する決意をし、成長していきます。

 自分の生きる世界、ひいては自分自身が歪であるということを受け入れること、そのうえで他者と関わっていくという選択をすること、その一つの極地として示されるのが歪な愛を肯定する『純愛だよ』という言葉なのかなと。

 

 そんな他者=世界とどう関わっていくか、という物語としての『劇場版 呪術廻戦0』非常に秀逸な劇場アニメ化だったんじゃないかな〜と思いました。いや〜面白かったです。

 

 

 

 

その他

 

・ミゲルの動きは評判でも知った状態で見たのですがやっぱすごい。五条が夏油と対決想定して領域展開温存したのかそれともあの縄が領域展開もある程度凌ぐのか、とかは置いておいてフィジカルで特級の呪霊を圧倒する五条に対してアレだけ耐えられるミゲル、一級術師とみても上澄中の上澄でしょ……

 

・ファンサービスが非常に多い。京都の百鬼夜行の時に読み切り時点では出ていなかった術師たちが参戦しまくりで非常に画面がゴージャス。ナナミンの黒閃四連発の背景とか京都組の活躍もですが、猪野さんの動きが見れたのがかなり嬉しい。まぁ渋谷事変もですが京都の百鬼夜行もそりゃ大変な騒ぎですもんね。呪術師は駆り出されますわ……とはいえ本編のシナリオ展開とは特に関係のない「こっからはファンサービスだ!」と言わんばかりのねじ込み方なので喜ぶ自分と「ここはファンサービスなんだなー」とやや映画から現実に帰ってしまった自分もいた。単品の映画としても非常に出来が良かった作品なのである意味ファンサービスで一本の映画としての完成度が落ちている感じがしてちょっとそこがな。でも色々見れて嬉しかったのも事実……悩ましいところ。

 

・最近の禅院家崩壊エピソードを見た後だと終盤の夏油にズタボロにされた真希さん見て、「この時真希さん死んでたら急に真依が呪力爆発してたのか〜」と思うとギャグ漫画日和の「ウオオオオ!すごい力がみなぎってくる!師匠!これは一体・・・」「知らん・・・何それ・・・怖・・・」みたいになりそうでちょっと笑いそうになってしまった。

 

・散々コミュニケーションの話、みたいなことを書いたうえでなんですけどCV緒方恵美というだけじゃなくてテーマ的な相似もあったもんだから見ている最中ずっとエヴァがチラついてしまった。パンダが乙骨に胸のサイズの好み聞くシーンで「屋上、眼鏡、乳の大きい良い女」って坂本真綾の声が脳内で反響して発狂しそうだった。これが「さよならはまた会うためのおまじない」ってコト!?

 

・開幕、一人は寂しいと言われる
 →誰かと関わりたい、誰かに必要とされて生きていていいって自信が欲しいんだ
 →うぉぉぉエヴァ!!!となって一気に映画見るスイッチ入った感じありました。
  というか真希さんとの任務の初任務→やられる→覚醒暴走逆転って構造であったり、高専の上層部と五条のやりとりがゼーレとゲンドウだったりとだいぶエヴァを念頭に置くと印象がダブル箇所がちらほら。芥見下々先生は引用の作家なのでかなり自覚的というか、スタッフが劇場版にあたって見渡した時に「あ、エヴァじゃん」となりその観点をぶち込んだような気もしなくもないですが、これは私がエヴァの呪縛が解けてないからでしょうか。考えすぎな気がしてきたな……愛ほど歪んだ呪いはない……!!!!!!!!!

*1:パンダについては呪骸というところにアイデンティティのある存在なのでそういう意味でも描写として意味が通るな、と。

*2:いや、厳密には五条と夏油は二人ではないんですけど実力的に並ぶ存在がいないということで