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人生五里霧中

エヴァTV版見直し-第九話『瞬間、心重ねて』-

 

 

前回

enonoki.hatenablog.com

 

 随分と放置してしまっていたエヴァ感想、久しぶりに再開していく。よ、四年前……!四年前!?!?!?!?!?!?

 友達にも「あれ続き書けよ」と言われていたのだけど「今やろうと思っていたのに!」みたいな感情で書くのを止めていた。いい加減にした方がいいと思う、本当そういうの。

 少しノリは以前と変わっているかもしれないけど再開する。エヴァ感想をブログに書くのは止めていただけで相変わらずエヴァは見続けているのでエヴァ筋は衰えていない、私は老人ホーム(もし入れたらだが)でもエヴァの話をするしエヴァを見る老人になるぞ。

 

 

 というわけで九話。ユニゾン回。

 アスカの登場回である八話から続いてシンジとアスカの関係構築回にあたる話。脚本は庵野監督、薩川昭夫。十話のマグマダイバーと同じ脚本陣。マグマダイバー好きなんだなぁ。(これは次回書く)

 作画監督が長谷川眞也。エヴァの動きとか戦闘面の動きはめちゃくちゃ好きなんだけど、ちょっとキャラクターの顔とかに癖があるなぁと思う回。

 

 前回のアスカ登場から明るいロボットアニメ的なエヴァになっていく。

 

TV版エヴァのあるある凝縮の強さ

 

 前回のアスカ登場回から一気にエヴァのカラーが変わって「明るく元気な夕方ロボットアニメ」感がバッチリ出てくる。第六話『決戦、第三新東京市』が終わってからシリアスな空気感を第七話で押さえていき、アスカの登場で一気にカラーを変えていこうという意図が感じられて面白い。

 かなりさまざまな層を「このアニメで取り込んでいくぞ!」という気概のようなものが序盤のこの作風の幅広さから感じるところがある。結構Twitterとかでは最近触れられるようになったけど、終盤のシリアスさ、ダークサイドの人間心理みたいな描写だけでなくてこういう王道チックなストーリーラインをバッチリ魅力的に描いているのがエヴァの強さだよな〜と思う。

 

 TV版エヴァの強さってシリアス面であったり、謎めいたシナリオ、というのももちろんあるけれど『ラブコメあるある』的な話をするとそういう『あるある』要素を余すところなく詰め込んでいるところにも現れていると思う。「仕事はバッチリしているお姉さんだけど私生活はズタボロ」とか「美少女が転校してきた!気が合わないと思っていたらいきなり同棲生活に!一体どうなっちゃうの〜!?」みたいな。エヴァのそういった要素自体にそれぞれオリジナルが存在しているわけで、それを「エヴァが画期的!」という感じに語る気はないのだけど、そういう『あるある』のイデアみたいなものを抽出してかつ物語の面白みの中に注入、キャラクター一人一人の愛着を超えて「ああ、こういうあるあるあるよな」という感覚を視聴者に与えるには十分な働きをしていると思う。

 

展開の省力の鋭さ

 

 今回の敵は二体に分裂する第七使徒イスラフェルなんだけどこの回、普通に二話に分けられるようなプロットをしているのに一話にまとまっている。

 ・初戦。やったと思ったらやってない、敗退

 ・国連のN2爆雷の攻撃

 ・ユニゾン練習でのあれこれ

 ・再戦、勝利

 を一話で変に駆け足にならず処理しているのがスマートすぎる。

 この展開の処理の鋭さは初戦でイスラフェルが分裂した瞬間でカットして、反省会の場面に転換するあたりが肝なんじゃないかなと改めて見ていて思った。

 エヴァは話の省略が上手い。

 第弐話『見知らぬ、天井』もサキエル戦でシンジの危機でバッサリと事後に場面を展開して後々、その暴走の顛末が描かれるようになっている。

 場面のテンポを最大限良くしつつ、結果の見えている話、予定調和と見ていて思うようなシーンは大胆にカットしていて、そこを描く場合何かしら別の要素を付与して提示していると思う(サキエル戦なんかはエヴァ暴走だったり、拘束具の外れたエヴァとかストーリーのフックになるような要素を提示する場面になっていて、既に答えの見えているサキエル戦を勝つかどうか、は重視されていない)

 イスラフェルとの初戦は今回のお題の提示レベルで割り切りがされていて、ドラマ面ではアスカとのユニゾン練習の共同生活、戦闘面ではユニゾンパートの時というのが比重が見ていてストレートにわかって気持ち良い。

 

ミサトさん「変わってないわちっとも。大人になってない」

 

 シンエヴァの後なのもあって『大人』ってワードに注目してしまうが、加持さんの「大人は恥を書きたくないのさ」なんかはちょっとした方便というか、間をつなぐ会話であんまりテーマ的なものは感じない。

 ただミサトさんの「大人になってない」に対してはこの回のリツコさんの(ほんまコイツ……)という表情なのもあってやや読み解きが出来そうだな、という感覚。

 このミサトさんの加持さんについて「変わってないわちっとも。大人になってない」という言葉は完全にブーメランな話で、加持さんも大概かもしれないがTV版の描写量だと大人になれてないのは圧倒的にミサトさんって感じ。(まぁTV版エヴァに大人はいない気がしますね)

 その言葉がブーメランなのは描写的に結構意図的って感じで、リツコの表情からしミサトさんが意図的に自分の見ないといけない事柄(加持への好意等)を側からみてバレバレなのに取り繕っている感がある。

 後の話からすれば二人はよりを戻しているわけだけど、この辺の描写から察するに「ごちゃごちゃ勝手に相手のこと推測ってないで喋れや」みたいなシンエヴァに通づる文脈を見出せなくもないなと。

 大人=勝手に思い込みで自己完結せず相手と会話ができる人間、的な。

 この辺はTV版見直しながら考えていこうかな。

 

ニゾン練習、TV版エヴァで繰り返し描写される代替可能の恐怖

 

 この回はシンジとアスカの関係構築が肝だと思っていて、二人の関係が構築されていく描写がやっぱり見ていて好きだなーとしみじみ思うのだけど、こんな風に『明るいエヴァ』をやっていながらもやっぱり根本に色々な不安のようなものが見え隠れする。

 

 ユニゾン練習でアスカが「他に人、いないんでしょ?」に対してミサトさんが即綾波投入、アスカのプライドをぶっ壊すシーンなんかは改めて見ていてそれを顕著に感じる。

 TV版エヴァは本当に増長に対して容赦がない。シンジがそういう態度を取れば速攻で(実際代わりいねえだろ!とツッコミたくなるが)地元に戻そうとするわ、ディラックの海に沈めるわ、ありとあらゆる手段で調子に乗ることを叩き潰す。

 これはオリジナルがない、コピー世代、ということを庵野監督は語っていてエヴァがコピーであるとこなんかにもテーマ面でもそのあたりの課題意識は見受けられるのだけど、シンジやアスカの増長に対してやたら手厳しいのもこの辺の意識があるのだと思う。

「他に人、いないんでしょ?」というのは代替不能=自分がオリジナル、という感情の現れとして解釈されて、「いや、代わりはいますよ。代替可能ですよ。私が死んでも代わりはいるもの」って具合でその事例として綾波がそのポジションをあっさり奪う。というか「私が死んでも変わりはいるもの」と言わせた綾波にこの役回りやらせるの、性格悪〜〜〜〜〜〜〜!

 

 こんな感じの問題意識がTV版後半戦〜EOEなんかは完全にダークサイドに触れていくのだけど、この回はポジティブにシンジとの共同戦線を張って名誉回復を図る、という風に持ち直していく。アスカを作品の空気を変える存在=転校生って感じで配置した意味合いがシナリオからもよくわかる。

 とはいえ、初期からやっぱりエヴァは徹頭徹尾エヴァだな、と感じさせる描写だと思う。

 

 そうしてイスラフェル再戦からのユニゾンシーンのかっこよさ、アニメーションの気持ちよさからの最後のシンジとアスカの口喧嘩の微笑ましい雰囲気のまま次回へ続く。

 この辺りの意識的に明るいエヴァ、をやろうとしている雰囲気は雰囲気でたまらなく好きだ。同時に、終盤のテーマ面もメンタル面での浮き沈みだけではなく、当初からあったテーマの方向性の一つだったと感じられるような描写もあってやっぱり面白い。

 次回、マグマダイバー。語れるのかはさっぱりわからないが次回は大好きな回。

 

 そんな感じで久々にエヴァ感想だった。次回は来週には更新したいと思います。

 それでは。

 

6/16追記

 

こんなことを書こうと思ってたの忘れてた。