えのログ

人生五里霧中

再開『私のリアルは充実しすぎている』歩君ルートの感想

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 放置しすぎていて「アプリ版も出てますよ」とフォロワーさんに情報いただいたので本当に今更ですが『私のリアルは充実しすぎている』をiOS版で再プレイ。

 エヴァ感想もだけど、本当に色々なことが抜け落ちて生きていたんだなぁ……と過去から開きすぎて反省しました。

 そういうわけで、ノリは変わってしまった気もするが(希美のように過去の自分とはかわってしまったのかもしれない……)

 

過去のやつ。(感想ひっぱられたくないので読み返していない。

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 色々忘れていたので以前のプレイの記憶から歩くんルートからまた一からやり直したのですがやはり良作すぎる……

 

 以前よりはうっすらと記憶に残っている場所もあったので以前よりもシナリオの巧みさに目が言っていたのですが、ハッピーエンドルートの終盤はもう完全に画面に夢中になってしまいツイートもしそびれました。

 というか前回、初回プレイ時は一直線にハッピーエンドルート行ったっぽいんですが、逆になぜあの選択肢を自分が初回で選べたのかわからなすぎる……めちゃくちゃ心痛んだんですが……

 

 シナリオ、やっぱりよく出来ていて、という散々放置しておいてなんなんですが、わたじゅうについては「いつかまたやろう」で永遠に放置してしまっていたのですがシナリオについては結構思い出すことがありました。というか社会で生きていると周囲に『リア充』として精一杯擬態する希美の挙動にリアリティというか身に覚えがありすぎて……

 社会人やってて日々痛感したんですが(まぁ近々無職になるんですが)とにかく素直に生きられないシチュエーションが多すぎる。思ってもいないことを言わないといけないし、周囲の望む姿でいないといけないのだな、と思うシチュエーションが多々あってやっていてどんどん自分が死んでいく感覚がある。

 

 希美は完璧に擬態出来ていて、実際にそれでスクールカースト最上位にいる、というのが物語のスタート地点なんですけど、やればやるほど「いややっぱこれしんどいよ!」とやっていて思うわけです。希美=自分、という方程式、完全に作れる、もうシンクロした。次はシンクロ率無限大だ。

 という感じでやっていて当時もまぁ確か休職明け(休職中か?)とかにこのゲームやっていたのでやっぱり響く箇所があったんですよね。

 歩君は当時と変わっていなくて、もちろんラノベにカバーをする程度には以前より変わっているんですけど、希美よりは変わっていない。

 でも、それがこのルートでの希美の希望になっているんだよなぁと改めて思う。

 

 ノーマルかハッピーか選ぶ選択肢で、どうして過去を知らないふりするとノーマルに行ってしまうのか、についても結構ショックで考えたんですけど、やっぱり歩君ルートは過去とどう折り合いをつけて今、そして未来を生きるか、というのがテーマなのかなと。

 希美が知らないふりをしてやっていく、というのはまぁ上手な生き方だったり、色々な人がやっている生き方で、それにもノーマルエンドなりの希望はある気はするけど、そこである意味真正面からぶつかるためには「関わらないでくれ」と一回全否定する必要があったのかなと。

 というか、それだけ否定しよう、と過去を否定しようという感情がある時点で過去を捨てきれていないんですよね。わかるよ〜〜〜〜〜〜強く否定しようとする時ってそこにすごいこだわりがあるからなんですよね。あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜。

 

 このシナリオ、明確に『擬態する生きづらさ』『本当の自分を押し殺す辛さ』が軸にあって、そこをどう過去の自分の一側面でもある歩君と関わって折り合いをつけるか、というのが肝なんだと思うんですよね。

 作中の乙女ゲーのヴォルト様に夢中っていうのは趣味としては全然良い、というか自分もそうだしって感じなんだけど、ヴォルト様の好きな主人公は希美の視点からだと『良い人』で自分ではないんですよね。自分を重ね合わせて萌えてはいるけど、(そして普段ならばそこのノイズを無視できるけど)歩君との再会でそこのチューニングができなくなる。それぐらいに『今の自分』に対しての感じていた違和感が出てくる。

 

 かつて希美が歩君に言った小説についての褒め言葉である歩君の書きたいもの自体を肯定する(周囲の価値ではなくて、その人にとって大切なものを重んじる姿勢)のは本編で歩君から希美に返ってきて、それは希美が周囲に合わせて自分でも気づかないうちにすり減って忘れていたことだったんだろうと思う。

 歩くんと折り合いをつける、歩くんを好きだという気持ちを否定しないようになることが、自分自身を嫌う気持ちを払拭することになって過去の自分を受容できるようになる。

 そうやって『過去』への折り合いがついた後にエンディング前の歩君との約束が「だからまた明日」という『未来についての約束』になる。ちょっと良い構成すぎるな……というか、わたじゅう、自分でも記憶以上に刺さっていたんだな、という箇所がちらほらありこまった。

 終盤、クラスのやつに対して、歩君がバカにされそうになったときの希美の怒りの気持ちはとても共感するし、というか自分もそういう感情を小説でしばしば再現しようとしたなぁとあり、全てがそう、というわけじゃないけど「ここに自分の原体験あったんだ!」という驚きがあった……

 

 あとノーマルエンド、これは完全に初見だったんですが、これはこれで凄い良いなと。というかもちろんカタルシス、という意味ではハッピーエンドとかの方が良いのですが「歩君ではなく、自分のためなんだ」というのを希美が言うのが本当に胸にきてしまった。

 これ、最近天の最後とか僕ヤバ読み返していて思ったんですが(なんでその二作なんだ、というのは置いておいて)、「自分がそうしたいから」というエゴの自覚というのはやっぱり愛の一つの形なんだと思うんですよね。(もちろんそれに甘んじると愛は死ぬが)

 人のコミュニケーションってのはどうやっても不完全で、かつ人間は利己的な側面を捨てられないわけで、それは別に悪いことばかりではないけど、相手のことを思ってする行動が100%相手のためになるわけではない、という現実を見つめると「相手に幸せであってほしい自分」みたいなものが絶対に出てくる。

 天のラストでアカギに「俺が死んでほしくねえんだ!」と説得の論理をかなぐり捨てて泣く天のシーンは凄い良くて、あれは確かに自分がそれだけ悲しいから嫌だ、というシーンでもあるんだけど、それぐらい悲しむほどにアカギという存在が大切、というのを示していてやっぱりあれもエゴでありながらエゴを超えている感情のシーンだと思う。

 そういう人の関係の真理がノーマルエンドで出てくるすごさよ……!!!!!!!!

 というの書かれていることへの感激もあってノーマルエンドと出た時はめちゃくちゃショックでした。

 

 あと弟の隼、どうやら裏ルート的に攻略ができるらしいと聞いた気がするけど今のうちにキャラクターについて色々妄想しておきたい。

 

 

 

 まぁだいたいこういうふうにツイートした通りなんですけど、日常の姿の希美を見ている存在である隼、というのはやっぱり重要な要素だと思うんですよね。

 彼はメイクしていない希美を見て「別に変わらないでしょ」みたいなリアクションをしていて、それはメイクというものへの解像度の低さでもあるかもしれないけど、希美の魅力というものについて、別に外面、というわけではなくてその積み上げようとした人間性とかの部分に重きを置いているような気がするんですよね。

 ちゃんと人と関わろう、擬態するぐらいに努力をした、というところが希美の魅力であってちょっとした外見の違いとか、希美の病的なまでに拘る外面部分を希美の本質とは思っていないというか。

 それで、ある程度その病的な拘りを知っているからこそ、そこからある程度解放されてほしいとも思っていて、それが歩くんルートでの隼の言動に繋がっているのかな……と。

 歩君ルートの終盤で家に帰ってきた希美に声をかけるけど、隼だと根底の部分に触れられないんですよね。それは彼のルートではなくて歩君のルート、というのもあるけど、ゲームスタート時点での姉弟としての関係性だとそれ以上が踏み込めない一線というのもあるのかもしれない。家族だからといって踏み込めない、助けられないところというのがあって、それは隼にとって同時に凄い歯痒い、悔しいことなのかもしれない。

 だから色々と歩君ルートでも助けてくれたのかなぁとか、考えると隼……っ!!!!!!!!!!!!

 ここらへんは他のルートやりながらもう少し考えたい。

 

 

 アプリ版、フルボイスなのマジで凄い。というかモブもフルボイスなの予想してなかったよ。

 広告は思った以上に高スピードで出て、ゲームやってる最中に実写の広告見るの心臓に悪すぎたので即課金しました。

 

 明日もまたやる予定。とはいえ明日はちょい用事があるのでブログにするのは最短で明後日かもしれない。遅くても来週中までには次の感想を書くくらいの速度でプレイしていきます。